25.11月.2010

市民表彰を受けて。。。

福山市から「市民表彰」を受けた。
『private plots 2010 1st prize』の功績を讃えられて。。。

市長に呼ばれ、市のおっきな部屋に行った。
俺は複雑だった。。。
ここに来るまでに9年という歳月がかかった。。。
しかし、思いとは裏腹、この日は感慨深い一日となった・・・

独立して9年半が過ぎようとしている。
福山に戻ったとき、この福山には大きな問題が山積みだった。
今も変わらない。
縁あってか、そんな問題に直面する出来事、出逢いがたくさんあった。
何かやれと言わんばかりに・・・

「大好きな福山の為に自分にもできる事があるんじゃないか・・・」

俺は徐々にそう思い始めた。。。
そのことは、鞆の浦に関わり、景観に関わる仕事をしとる自分にとっては必然のことじゃった。
俺は、異業種交流会を結成し、よくみんなで遅くまで福山について語り合った。
政治にも踏み込んだ。
様々な試みにチャレンジした。
衆議院議員も巻き込んだ。


そして、市長も巻き込もうと思った。。。

それが三年前・・・(その頃の日記)
あの時書いたこと・・・

わかってはいたものの、裏にはとてつもなく真っっっっっっ黒な世界があるという事、正規のルートじゃ、権力者じゃなきゃ太刀打ちできない事を思い知った。

今は言えないが、秘策は見つかった。。。

俺は、権力者にもならず、「水辺公園プロジェクト」とも違う、一市民としてそれで戦ってやる。

新種の爆弾を入手したわけじゃ^^^^^^
もちろん、仲間はおるしな^^

結局、純粋に俺は俺のやり方でやっていこうと思ったわけじゃ。

やっぱそうじゃないと面白~ないもんな~。

いち庭師のzenjiroとしてのやり方でやっていく^^

・・・


そのやり方というのが、「世界一」という道じゃった。

正直、爆弾を入手したわけじゃなかった。
爆弾を入手する方法を見つけただけだったけど、絶対にとる気だった。
あの時言わんかったのは、言いたくなかったから。
現実味がないから。
大きな口を叩きたくなかったから。
権力者にはなりたくないから。。。
あまりにも大きく、遠い夢だった。
でも真剣だった。

本気でこの道しかないと思った。
だから俺は「世界」に出た。
国内じゃなく、色眼鏡のない「世界」に。

正直、こんなに早く結果が出るとは思ってなかった。
俺は、市長に会うまで複雑な気持ちだった。

なぜなら、以前俺は三年前までの二年間、市長にアポを取り続けていた。
あらゆる手を使い、俺らのような、表に出る事の無い若者とのパイプを何とか作って欲しかった。。。
しかし、それが実現する事はなかった。

そして最後に言われた言葉・・・

「わけのわからん奴には会えん・・・」

その時は、当たり前じゃと思いつつ、でも正直腹立った。。。
その「わけのわからんやつ」が三年経って「表彰」されることになんとなく複雑じゃった。
そんな気持ちの中、俺は市長と一対一の歓談をした。

なぜ、市が動けないのか。。。
おれは、ヨーロッパに行き、気付いたことがある。
人の意識の差・・・
それがなぜなのかもわかる。
何が一番必要なのか。
今回自分が海外から持って帰った宝を胸に・・・

市長との話の中でこんな話をした。

「長期のビジョンで福山をつくる努力をしてほしい。その為の仲間は私の周りにたくさんいます。その人材を使って欲しい。」

市長はこう答えた。

「今はすぐに結果を求められる。
 来年結果をださなければ住民からNOと言われる。難しい問題です。

 私は昔イギリスにいたことがある。その時の都市計画に驚いた。
 たいした工事はしてないのに、100年かけてやると言っていた。
 何でこんな工事に100年もかかるのかと驚いたことがある。日本じゃ考えられない。。。」

俺はこう答えた。

「なぜ、大したことのない工事に100年かけるのか、私にはわかります。

 残す為です。

 より多くの人に歴史を大切にするという意識を持たせる為です。

 5年や10年で出来てしまうものはすぐになくなります。なぜなら、そこに一代しか関わらないからです。
 一代で作ったものは一代でなくなります。100年で作るには、3代、4代の人が関わります。
 受け継ぐにつれ、その重みを実感していくのです。
 そして、そこに関わる人数は、単に4倍ではなく、計り知れない人数になるのです。
 そして、その人の心のリレーこそが「文化」に発展するのです。
 難しいのはわかります。みなさんが、本意ではないことが多々あることもよくわかります。
 でも、それがわかるなら、一緒に第一歩を踏み出しましょう。
 一人では何もできません。みんなでやっていくのです。
 少しずつでもいい。民意を変えていくのです。。。」

その他、たくさんの話をした。
市長との歓談後、副市長、秘書、広報課、その他部署の課長など、たくさんの人達とお話した。
一人一人は決して悪くない。
みんな心は持っている。
俺はみんなに言った。

「私は三年前、あなたたちに相手にもされませんでした。
 しかし、皆さんを責めるつもりはありません。
 いろんな問題もありますが、それも責めるつもりはありません。
 しかし、このままでいいとも思いません。
 一緒にやりましょう。
 楽しんで頑張れる福山に、長い眼で見てやっていきましょう。
 あなたたちだけじゃなく、私たちと一緒に。。。」

偉そうだったかもしれない。
でも、これは俺の本心です。
こう、言えるまでに長い年月がかかりました。

三年前には、この言葉は言えなかっただろう。。。

あのころと変わらなかったこと、それは「福山が好きだ」ということ。
でも、三年前の文章から変わったことが一つだけある。

それは、この文章。。。

更に、これもわかってはいたが、市役所はまったくやる気がない事も改めて思い知った。

これは間違っている。
今の俺はそうは思っていない。
誰かを責めてもなにも生まれない。
敵を敵だと思っていては何も変わらない。
結果がでなければ叩く、失敗すればまず叩く、そんな批判はもうたくさん。
すべてを自分に置き換えて、考えよう。。。

しっかり一人一人を見つめ、前へ進んでいける道を、俺らがつくっていく。
そう、たくさんの仲間と共に。。。
ついに種を撒く時が来た。。。
そんな気分です・・・

コンペの受賞を受け、たくさんのモノをもらった。。。
この環境に心から感謝しています。。。
まだまだできる事がたくさんある。。。
道は拓けてくる。。。

必ず・・・