20.9月.2012

[鞆の浦 de ART] 桝屋project…

9/16~10/8まで 開催中の [鞆の浦 de ART]~朝鮮通信使なう。~


展示を終えた。。。

おれは、その展示と共にそこに至るまでの心の葛藤を綴った短冊を展示した。。。

その内容をここにアップしておく。。。







2012.05.18

子供の頃、鞆の浦といえば「鯛網」くらいしか記憶にない
鞆のまちのことなど考えることなんてなかった

庭師になり「作庭衆 庭譚」の初仕事がここ「桝屋」当主の「本家桑田」であった

それから12年・・・太田家住宅、岡本亀太郎本店、保命酒屋など、鞆の旧家と付き合ってきた

「庭」を通して「鞆の浦」を見てきた

壊される庭もあった・・・

とても寂しく切なかった

ただ出来ることを出来る限り、当時の風景を想像しながら庭に手を入れてきた

何かの資料を基に・・・そんなことじゃない

現存するあの頃の建物と共に過ごしてきたその感覚こそがすべてである

何かをさわる時いつも思うこと・・・

あの時代に自分がいたらどうつくっただろう・・・

材料、物流、環境、技術・・・

すべてをその環境で何を考え、何をつくったのだろう・・・

そう思う平成の庭師が江戸の庭師になり代わり・・・


想いをカタチにします


「桝屋 MASUYA PROJECT」・・・


さあ、みなさんもご想像ください

ここから仙酔島が見えていたあの頃を・・・






012.08.25

あれから3ヶ月・・・

構想は固まっていた・・・

[鞆の浦 de ART]でこの庭を伝えよう

Zenjiro Hashimoto ではなく 桝屋 を表に・・・

きっと江戸時代の庭師なら・・・

ずっとそう思っていた

しかし 何か腑に落ちなかった

何ヶ月もたつのに なぜかチカラが沸いてこない・・・

なぜだろう・・・

こんなにも長い時間この庭と向き合ってきたのに・・・



見えない・・・



暗くなるまでこの空間と向き合った



本当にこれまでの考えでいいのだろうか・・・


わからなくなった

何も見えないまま

夜の海を目の前に


真っ暗な闇に突入した・・・




2012.09.09

12日から準備・・・

さらに深い闇の中

[art]という見せる場が どうもこの「桝屋」での作庭と結びつかない

何かがボーっと見え隠れしている

[art]って何なんだろう

自分の役割って何なんだろう

ここでやる意味は・・・

ずっとそれを考えていた

[モノヅクリ]=[art]ではない

じゃあなぜオレがここにいるのか・・・

[artist]って何の為にツクルんだろう

自分のエゴなのか・・・

いや、そうじゃないはずだ

自分の中から湧き出てくる何かを 

誰かに伝えたいんじゃないのか・・・


何かを伝える為、感じてもらう為、日常にない感覚を味わってもらう為にツクルんじゃないのか・・・

自分の中にある何かをカタチに変えて周りを幸せにする為・・・


[art]って[伝えること]なのかもしれない


オレがやってることと何も変わらないのかもしれない・・・





2012.09.10

[art]の為の作品を 今これから再生させるこの庭に持ち込みたくない
それがオレの心の中

おれは 代々ここを守ってきたお庭番のことを考えてきた
この10年間 ずっとこのお庭のことを考えてきた

かつて この庭の向こうには離れと大きな蔵があった
今はもう その姿はない

景色は大きく変わった
このお庭はある時から取り残され いつしか見る人すらいなくなった


もしここに 江戸時代の庭師が突然現れたら・・・
困惑するだろうな・・・

流通、道具・・・あらゆるものの変化の中で同じものを作ろうとするだろうか・・・


ありえない


今のこの場所 この建物 この背景に最高に合う庭を
あらゆる技術とノウハウを駆使し
新たな空間をつくるに違いない


今のオレがやるべきこと・・・

江戸時代のお庭番が考えられなかった空間を

江戸時代のお庭番が残してくれた技術とノウハウを発展させてカタチにすること・・・

それが「桝屋 お庭番」を引き継いだオレの役割なんだ

置き去りにされたこのお庭を 潤いある空間に引き戻すこと・・・

それがオレの役割であり


若いお庭番を育ててくれた「鞆の浦」への恩返し





2012.09.11

頭の中が整理されてきたものの、依然すっきりしない

構想がまとまらない

「桝屋 再生」という役割を この [鞆の浦 de ART] と結びつけた自分に後悔すらした


おれは[art]というコトバに縛られていた

何か コレ というものをつくらなければいけないような気持ちに苛まれていた

この庭で、ただカッコいいモノをつくることはできる

「再生」というテーマで湧き出すモノを彫刻で表すこともできる

でも・・・何かが違う


この「桝屋」でそんなことしてもオレが展示する意味がない・・・

心の中でそう繰り返していた


背伸びしようとしている自分が見える

自分らしくない

カッコよさを求めることが 自分の表現じゃない


空間に 無駄なかっこよさは必要ない

カッコつけたくない

ありのままを見て欲しい


さらけ出そう・・・


自分らしさを見てもらえばいいんだ


明日は とにかく現場にはいろう




2012.09.12

現場に立つ

煙草に火をつけ、数え切れないほど見てきた景色ともう一度向き合った

その時、以前から気になっている部分が目に入った

手水鉢周りの石の配置だった

ずっと思っていた

あるはずの飛び石がない・・・

ただ おれは 腐敗したありのままの庭の姿も多くの人に見ておいて欲しかった・・・
それがこの庭に手をつけれないでいた原因でもあった

しかし このままの状態の「庭」を多くの人はどういう想いで見るだろう・・・

本当に何かが伝わるんだろうか・・・

伝わらないんじゃないか・・・

いや 伝わらない


気づけばオレは草を抜きはじめていた

一本一本丁寧に草を抜いていった
体が勝手に動く・・・
そのまま庭中に乱雑に置かれた石を一つ一つ動かし、庭に放り出されたものを取り除いた

そしてゆっくりと眺めたあと、気になっていた飛び石部分を掘ってみた・・・

カチン・・・

飛び石が姿を現した

これは、元の庭に土が盛られていたことを示していた

元の地面をだそう

地面を這い蹲り土を丁寧に撫で 削っていった

半分まできたところで辺りは真っ暗になり、逸る気持ちを前に現場をでた・・・





2012.09.13

昨日の続きに取り掛かる

進むごとにこの庭の歩みが見えてきた

元々なかったであろういしをすべて取り除いた
その後に現れた庭の中に どうしても不自然な石が一つだけあった・・・

なぜこんなところに・・・

わからなかった

何もチカラを感じない

オレは金テコを持ち その石を少し浮かせてみた・・・


埋まってない・・・


建物解体後 向かいのブロックを積むときに邪魔だからよけたんだ
そして ブロックの基礎をつくる為に掘った土をそのまま周囲へ均したのか だから飛び石も埋まってたんだ・・・

すべてが理解できた

そして その置き去りにされた最後の石を吊り上げた時 

オレ中の闇がすっと晴れていく景色があった

これだ・・・

その石は 右手にある発掘した空間と 左手にある置き去りにされた石たちのど真ん中 何もない「無」の空間に浮いていた

それがオレには 

「過去につくられた庭」と「これからつくる庭」を繋ぐ


「再生への架け橋」に見えた・・・


ここから見てもらおう
1ヶ月間、このままにしておこう


考え続けた心の中を ありのままの姿で・・・








それから最後にこう綴った。。。








「庭」は生きている

どんなに素晴らしい庭も 経済状況、その他諸事情により 姿は変わっていく

ただ、どんなに 姿 カタチ が変わろうとも
成長し続けるものがある


それは 場の空気感・・・


「庭」は生きている


樹木は育つ または 枯れることもある

しかし 時間の経過はそのまま残るのです


なぜ 今 「鞆の浦」が脚光を浴びているのか


それは ほかでもない 

成長し続けてきた「空気感」をそのままの姿で残す要素が より多くそろっているから

その「空気感」を復活させるべく

来年の「ひなまつり」に向けて 

この庭の完成を目指します


もしも 時間の余裕があるならば 

是非再度「桝屋」へお越しください


お待ちしております・・・

    Zenjiro Hashimoto

2012.09.15 Finish