20th May ,2020

YouTube チャンネル開設のお知らせ

この2ケ月、いろんな事を考えました
そしてその結論の一つが動画の配信スタートでした

niwatan_zen の「thinkthrough」

[thinkthrough]
Think through
– 考え抜く、本質を見抜く

Think through = carefully think about it.
Think through = think carefully about the possible results of something

この2ケ月で多くの人の気持ちが揺れ動いた
それぞれ、想いとは裏腹なことも多くあると思う

しかし、自分の想いと裏腹であっても周りの状況をガラッと変えることは難しい・・・いや無理だ

ただ、少しでも、長い時間をかけてでも、ここに関わる人達だけでも何かを伝え発信することで今後何かが変わる人達がいるかもしれない

自分が今までしてきたモノづくりの根源「事を興すモノヅクリ」がここでも出来るかもしれない

リアルな【庭】という空間ではなく、【社会・文化・未来】という 見えないコトヅクリ【世界という庭ヅクリ】 がここでできるんじゃないか・・・

そう感じ、みんなで共に考え抜く《thinkthrough》というYouTubeチャンネルを開設しました

小さな一歩が大きな波を起こすことを期待し、この活動を続けようと思う

この配信は、基本的にLive映像の配信と考えています。
正しいことだけじゃない、間違ったことを言うこともあるかもしれない
でも、それがまた《思考の種》になればそれでいいと思っています

見えない【世界】という庭をみんなでつくる

素材は紛れもなく、《思考の種》を植え、育てるあなた達《人》です

絶対に変わらなければならないと思っている訳ではない
変わらなくていいものもあれば、このままでいいと思っている人もいるだろう

ただ、成長した方が人は豊かになると思っているのです

一つ、確実に言えることは

《思考の種》を手に入れ、何かに気付いた人のみが今は知らない未来へ動かすことができるということ

そして、その小さな一歩がのちに少しだけ世の中の軌道を動かすかもしれない

そんなことを期待しながらより多くの人と《思考の種》を撒きあいたいと思っています

是非みんなで楽しみましょう

チャンネル登録よろしくお願い致します。

https://www.youtube.com/channel/UC3hepwmGolS8G1JRCFFqaNw

28th January ,2019

モノヅクリを考える。。。

見る人にはわかるかもしれない 10年前に建築家の設計で建てられた廿日市の住宅

入った瞬間にズシッと心に建築家からのメッセージが入ってきた
暮らしやすいとは程遠いその建築に、オーナーさんは心地よい暮らしをされていた

お風呂に行くにも一度外に出なきゃいけない
照明はほとんど無い

「照明が少なくて視力が落ちてしまったわ」と笑いながら語り、でもどこか幸せそうな空気をもっていた

「この住宅に満足していますか?」
僕がそう尋ねるとオーナーさんは即答で 「はい!」

なんだかとても嬉しかった

デザインってこういうことなんじゃないか

 

僕はそう思った

最近よく思うことがある
世界は常に便利なものに向けひたすら走っている
いったいその先に何があるんだろう
効率化×効率化でどんどん余白が無くなっていく
かつては当たり前に行っていた行為も 今はしなくて済むようになった

それで得たもの 失ったもの・・・

 

谷尻誠氏ともそんな話をしたが、物事は表裏一体だ
プラスマイナス0

 

何の為にモノは出来ていくんだろう

 

楽するため・・・いや、そうじゃない

 

新たなことを生み出すためだ

 

やらなくて済むようになり、そこで得た時間を使い新たな価値を生み出すために使う

 

常に人間は、考えるか、動くかしなきゃ退化していく生き物だ

 

AIはどんどん学習能力を高めている
そんな時代に僕たち人間ができることは何なのか

 

僕にはまだわからない

 

それでも、この建築は大きな希望と豊かさを、受け取れる能力のある人に、ちゃんと建てられた気がした

建物や庭、カタチだけを見てその価値を定めることはできない

そこには、そこで営む人がいる

その人にとってどんな気付きを与えることができたのか
その建物に出会わなかったら気付けなかったことがあったはずだ

 

 

これこそ デザインの存在意義だと僕は思う

 

 

庭をつくるみんなにも考えてほしい

カタチが大事なんじゃない

それをつくることで何が生まれるのか

つくりたくてつくったものがあってもいい
でも、それによってちゃんと先に進んでいるのか
その時よりも多くの人を感動させることができるようになったのか

それは出来上がったモノだけではだめなんじゃないか

 

プレゼンでそこにつくり始めるまでのプロセス

つくる過程での会話と行為

仕上がってから何をし、どう動くのか

その時々で 人の心に響くことが何なのか

 

すべてを含めモノづくりだ

 

もちろん、感動させられなければそれまでの会話は薄れる

 

だから いいものつくらなきゃ

スキルも五感も磨かなきゃ

 

 

そんなことを考えさせてくれた 建築家 村上徹氏 に敬意を表します

 

 

心してこの空間に挑む

頭の奥にある うっすらみえる景色を捻りだす

いつになるのか 生み出したときがスタートです。。。

 

 

17th March ,2017

手入れという仕事。。。

長期作庭中の現場は、材料待ちでもう少しというところで中断。。。
ここ最近は、まだ回れていない手入れに回っている
優しいクライアントでみなさん何も言わず待ってくれている
ほんとに感謝の気持ちでいっぱいの中、この時期にふさわしい鋏を入れていく

少し手入れについて書きたいと思う。
これは、あくまで自分自身の考え方であり、すべての庭師がそうでなければならないと思っていないのと、だれを責める気持ちもないので参考までに読んでほしい

ある出来事があった

庭の手入れというのは、クライアントと長い間のお付き合いになる
若かったクライアントも段々歳をとり、管理していくことが苦痛になってくる方もいらっしゃる

先日こんな事があった

「もう大変だからあの大きい樹を軒下くらいのとこでぶち切ってくれ・・・」

「はぁ・・・」

おれは何となく寂しい想いになったが切ってくれと言われた現実も受け入れざるを得なかった
長い付き合いの中でその状況も来るだろうと予測していたからだ

一旦その言葉を飲み込み、「わかりました」と返事した
実はその時の僕の心の中は悲しさと悔しさと申し訳なさで力が抜けるほどがっかりしていた

庭師の手入れというのはどういう仕事なのかを少しわかりやすく説明しときます

庭師、植木屋、造園屋・・・今は色んな呼び方がある
でも、僕にとっては呼び方なんてどうでもよく、何でもいいと思ってて、やっていることがみんな同じだとも思っていない

僕がやっていることは、空間のスタイリストみないなものなのです

手入れにしてもそう
庭や建築、背景の景色、そしてそれぞれの樹木の成長具合から空気を読み取り、心地よい空間に仕上がるよう鋏を入れていく
そして、その樹木がその樹らしく育つことができるようバランスをとっていく

樹のスタイリストです

ただバスバス切っているように見えるかもしれないし、そういう人もいるかもしれない
でもそれは違います
樹は切れば切るほど不自然になり暴れる
ただ、その樹の性質を把握することができればその樹の成長を止めることができる
厳密にいえば、落ち着いて成長するので見にくい伸び方をしなくなるのだ

そうやって、その樹らしいその樹が一番かっこよく育つことができるように鋏を入れる
無理やりかっこよくするのではなく、その樹の個性を信じ伸ばすのです
そうすることにより、その樹は手入れした後の木の輪郭を崩さなくなる
結果、鬱陶しさがなくなるのです

以前の記事に書いているが、僕は2歳の時に二階の窓から転落し、一本のカイズカイブキに乗っかって命を救われた

その後その出来事を忘れるも、15歳の時に再び思い出すこととなる

その樹の伐採話が持ち上がったのです

子供ながらにそれまで思い出すこともなかった自分の命を救ってくれた樹を切ることに罪悪感を感じ、移植してほしいと頼み込みその樹は命を取り留めた

しかし、その樹を移植するため訪れた庭師にこう言われた

「こんな樹は移す価値がない。買ってきて植える方が安い。」

俺はむかついたことを今でも忘れない

それから5年後、また忘れていたその出来事を思い出すことになる

奨学金で大学に行きながらアルバイトが必須だった頃、大工という仕事を探していたところ縁ある方から庭師というアルバイトの話をいただいた

俺は何も考えず、どんな仕事かもわからなかったがとりあえず職人みたいな感じだしと思い「お願いします」と返事した

そこでの初日、手入れに行った現場でハッとする

その庭の骨格をつくる一番大事な主木に5mほどの大きなカイズカイブキがそそり立っていた

「あ・・・おれの命を救ってくれた樹だ・・・」

初日から鋏を渡され、カシャカシャ切っているうちに何か感じるものがあった

 

「これが自分の仕事になる・・・天職かもしれない」

 

不思議とそう思った
それから、楽しくまたとても厳しい過酷な修行時代が始まった

修行時代の話や、NIWATAN という屋号にした理由も以前書いているのでそれを読んでほしい
今日はそのことは省きます

それからは色んなことがあった
そんな中、多く考えさせられたのが人々が持つ「樹」に対する気持ちでした
あまりに鬱陶しいと言われる樹が多かったのです
ずっとそれを聞いているうちにだんだんとその樹たちのことが可哀そうに思えてきた
その言葉を聞くたびに、どうにかこの樹たちを褒めてもらえる樹にできないかと考えるようになるのです

独立してから、従来親方から教わった鋏の入れ方を少しずつ変えた
樹の成長に合わせた鋏の入れ方にした
手入れに行っても、切らなくていい樹は鋏を入れない
一本の樹を眺めその判断を自分ですることも手入れの一つの仕事だ
クライアントにとっても手入れするお金もゴミ代もかからないわけだからいいんです

そうやって樹と真摯に向き合ううちに、樹の気持ちがわかってきたというか、性質がわかってきた

すると、樹の成長をコントロールできるようになった

結果、鬱陶しいという言葉は聞かなくなり、伐採してほしいという案件もほぼ無くなった

 

「俺は今、樹の命を救ってる・・・

俺があの時命を救われたのはこういう事だったのか・・・」

 

樹の気持ちを代弁できる職業は庭師以外にはない
自分がそれに気付き、感じることができるなら、それを伝えられるのは自分しかいないのかもしれない・・・
そう思うようになった
もちろん、それは樹のことだけではなく、石、素材、自然界のあらゆることを・・・

樹の命を救う
これは、ただ単に生かしておけばいいわけではない
かっこよく生きてもらいたいのです
おれが、自分なりに自信をもって「お前はかっこいい」と言えるように育ててあげたいのです

で、先ほどの話に戻りますが、「ぶち切ってほしい」・・・久々に聞いた言葉でした

それを聞いた時のおれには二つの気持ちが浮かんだ

一つは、その樹を守れなかった自分の技術と言葉の無さに樹に申し訳ない気持ち
もう一つは、「このままぶち切るという気持ちでは切れない」という気持ち

おれはクライアントを呼び、言葉をかけた

「軒下部分で切ってもまた3年もすれば元の大きさにに戻ります。しかも不格好な伸び方で。僕はそんな姿になるこの樹が可哀そうに思います。人間で言えば、裸にされてダッサイ服着せられて立たされるようなもんです。だから下から切ります。今の時期なら下から切っても吹き返します。そして、この樹らしくかっこよくコンパクトに裁いていきます。それでいいですか。

ただ、一つお願いがあります。あの樹を切る前に一度、樹に頭を下げてください。今まで100年近くこの家で育ってくれたんです。切らなければならない事情は理解できます。樹もきっとわかってくれます。これを植えたご先祖様も、もちろんあなたたちのことが大事だと思います。だから、あなたたちの選択は間違っていません。僕も嫌なわけではないんです。ただ、この樹にありがとうと感謝の気持ちを持ってください。ぶち切るという言葉は使ってはいけません。これは気持ちの問題です。樹も生きています。。。」

 

そう語りかけ、そしてその後、僕がなぜ庭師になったのかを詳しくお話しした

そしてクライアントはしっかりと感謝の気持ちを樹に伝えてくれた

樹を伐採したり切ったりすることが悪いわけではありません
自然界では何かが生きるために何かが犠牲になりバランスが取れています
気付かず間違ったことをしているかもしれません
それも仕方ありません
でも自然に対する感謝の気持ちだけは持っていてほしいなと思うのです
それは人にも繋がってくると思います

私たちは人間界に生きています
だから、人々の営みは非常に重要で、それも守らなければいけません
人が鬱陶しいと思う気持ち、庭で感じるストレス、そう思う人が悪いとは思いません
人の気持ちというものは、教科書のようにうまくはいかないのです
そう思ったらそれが大事な気持ちなのです
その気持ちを解消させることも庭師である私たちの仕事なのです
それをどう、解消させるかがその庭師の力量で結果は変わる
その後の人生にもプラスになる出来事がその庭で生まれればそんな嬉しいことはないと思います

手入れは、そんなことも考え、鋏を入れていくのです
樹の成長をコントロールできればゴミの量が減ります
2年に1回の鋏でいい樹もたくさんあります
はじめの3年鋏を入れた後、10年鋏を入れていない樹もあります
管理費も無駄な使い方をさせたくはないと思っています

庭の管理には手がかかります

庭は必ず必要なものではありません

でも、絶対に必要だと思ってくださっているクライアント他、多くの人々がいます

その方々に感謝しながら、しっかりと真摯に手入れをしたい

その樹の良さ、石の良さ、空気の良さを最大限に引き出せる技術と感覚を磨きながら・・・

そして、その植物、石、自然の景色は多くの生きるヒントを持っています
もちろん、それを無理強いするつもりもありません

考え方はひとそれぞれでいいと思っています

ただ、せっかく出会えた人には、こういうことも伝える機会があれば遠慮なく伝えようと・・・

そんな想いで手入れをしています

少しコムズカシイ文章になりましたが、庭の手入れとはそんなものです。。。

人も自然も、自然にあることを受け止め、それをどう対処するかを考えていけばいいのだと思います
これはどの職業、生き方でも同じことがいえるかもしれません

 

今度はいつか 庭づくり について書きますね

12th February ,2017

日本人であるということ。。。

 

 

気付けば前回のまともな更新が半年前。。。
2016年は、年初めからシンガポールやカンボジアを行き来し、7月からは1ケ月シンガポール、8月はカンボジア、帰国しては現場に入る忙しい毎日だった

カンボジアではレストランの設計が進行中。
シンガポールでは即興に近いスピード感でたくさんのworkerと共に現場を進めた
住宅は仕上げを残しほぼ完成した
GARDENS BY THE BAY ではグリーンウォールも作った
日本では緻密な設計の現場を数件同時進行し、ゆっくりと進んでいた

ほんとうに様々なスタイルでの空間づくりが、様々なことを考えさせてくれた

間もなく広島・福山で8ケ月という長い工期をかけて進めてきた現場が完成する
建築事務所 kitokitoと共に設計をはじめて3年。建築前に移植工事に入ってからは2年4ケ月が過ぎた

沢山の仲間に手伝ってもらいゆっくりと進めてきた
玄関土間の石畳から始まり、石積、流れ、植栽、木工、左官、照明、見えない部分では解体、土壌改良、排水工事などそのどれもに気を使い進めてきた

この現場には、入る前から多くの壁が立ちはだかった

そんな中で踏ん張り立ち続けることは容易ではなかった
ただ、今となってはその苦しさが心地よく残っている

この現場の土地には入る前からすさまじいパワーを感じていた

このパワーに答えなければならない
このパワーを何とか引き出さなければと想う一心で何があっても立ち続けてこれたんだと思う

古くから受け継がれてきたここが持つ空気は、優しい力でクライアント一家を包んでいるように見えた
完成が近づき、そう見えたことで少しホッとした

庭とは、デザインとはそんなものだと思う

つくりたいものがあるんじゃない
守りたいものがあるんだ

伝えたいことがあるんだ

気付けない人に気付ける方法を授けることができるのがデザインなんだ

それはどこにでもあるカタチではなく、そこにしかないカタチの組み合わせ

海外に行ってよく思う

日本庭園は、日本にあるから素晴らしいんだ

日本は素晴らしい
でも、素晴らしいのは日本だけじゃない
世界は広い
素晴らしいこと、人、もの、たくさんある

ただ、日本では日本が一番生きる

土地の力を見きる
そして植物、素材の力を見きる

これが庭師の本領です

すべてを生かす

景色も、気候も、建築も そして人の営みも。。。

それが 庭師 作庭家 造園家 だから庭だけ見ててはだめなのです

オールマイティにフラットに

本質がすべてなのです

絶対に変わらないこと それは私たちは日本人であるということです

8ケ月、完成まであと少し
気を引き締めて

まだわかりませんが、オープンハウスをすることになれば春に予約制で行うつもりです。。。
その際はここでお知らせします