昨日のインスタ飲みトークでのお話
どんな庭がいいのかという話から、@h.a.n.g_akioshiga さんから[アイデンティティがあればいいのでは?]という質問があがった
詳しくは、
yousukeのゆる深talk vol.3
https://www.youtube.com/watch?v=vZaIIqCSHHY
を見て欲しい
あの時のトークをもう一度思い返して考えてみたらあることに気づいた。
アイデンティティとは、個性とか、自分らしさみたいな自分から見た自分らしい考え方を意味する
あの時おれは、アイデンティティは少なくとも必要だと答えた
その回答に間違いはない
でも、何か自分の言葉に少し違和感を感じていた
それが何なのかを考えていた
「庭師の世界は偏っている。」おれはよくこの言葉を使ってきた
そして、この言葉とこの回答がリンクしていることに気が付いた
もしかしたら、そのアイデンティティが強すぎたから今の庭師という業界が現代社会からずれ始めたのかもしれない
今、庭師に必要なことは、パーソナリティなのかもしれない と。
パーソナリティとは他人から見た自分らしさという視点。
そこが欠落してしまっていたんじゃないだろうか。
アイデンティティにはとても幅がある。
様々な経験(庭以外のことに関しても。政治や経済、新旧の文化やファッション、音楽など 分野が多ければ多いほど)を経てきた人のアイデンティティは恐らくある程度パーソナリティとのバランスがとれているんじゃないか。
その経験の数が少なければ少ない程、一つのことだけにのめり込めばのめり込むほどパーソナリティが失われ、アイデンティティが一人歩きするのかもしれない。
もちろん、のめり込む時期も必要だ。
でも、ずっとのめり込んでいたとすると世の中からは遠ざかる事になるのかもしれない
そして、そこで天才的な力を発揮して注目されるとそのアイデンティティにパーソナリティが寄っていく事になる
ある意味、サブカルがサブじゃなくなるみたいに。
でも、多くの人は本当のサブになっていくんじゃないかと感じる
だから、ここで話をしたいのは、そのアイデンティティの根源にある経験が多い方が業界が底上げされるんじゃないかということ。
もう少し言えば、もしも自分が持つアイデンティティが素人並であったときには恐らく仕事にはならないかもしれない
そして、そのアイデンティティが、先人達から伝えられてきたアイデンティティをベースにカスタマイズされたものであればあるほどその先に残る文化を作っていくものになるのかもしれない
そして、それが唯一無二のものであればあるほど、そして、その唯一無二の数が多い程、それがポプュラーなものとしてフューチャーされ、文化として受け継がれやすいのかもしれない
これが正しいのかどうかはわからない
でも、それを考え抜く為の《思考の種》をここに撒いておこうと思います
これを拾うかスルーするかはその人次第です
ただ、こういうことをしっかりみんなで話して行きたいなと思います
シガさん、素晴らしい《種》をありがとうございます