16.1月.2016

YELLVITA。。。

img_01

YELLVITA   http://yellvita.jp/ushitaasahi/design/index.html

オーナー様から、マンション事業 第一棟目を一緒にやってほしいと依頼を受けたのは2年前。。。
それほど多くの話をしたわけではないのに意気投合した
自分がやりたいというよりは、その人の眼を見て ただただ頑張って欲しい、、、心から応援したい。。。そう思った

このパターンは必ず闘志がみなぎってくる

庭は作ればいいというものではない
庭は人々が暮らす上で、絶対不可欠なものではないのだから

だから、庭をつくることで人々に何らかの変化を与えることができないならばその存在価値はない

デザインとはそういうものだ

誰かに必要とされないものは作る必要がないと私は思う

もちろんそこに闘志が沸かない

このマンションの外部空間はそのほとんどを任せていただいた

そんな中で、マンションにとって。。。集合住宅に必要なこと。。。様々なことを思い描いた
何一つ曖昧なものなど存在しない

そしてデザインした

何度も言うように、目に見えるものはカタチだけど本当はカタチをデザインしたわけではない
もっと大事なことを想いながらそれをカタチに絞り出した。。。

ただただ、これからここで様々な人生を歩む人々の豊かな暮らしを想像しながら。。。

 

2月下旬 竣工です。。。

 

人々が感じる空間には様々なものがある。そして、その空気は「五感」を刺激する。空気のいい場所で食事をすれば「美味しい」と感じ、木々が揺れれば「風」を感じ、花が咲けば「華やかさ、奥ゆかしさ」を感じ…。空間の持つ力は大きい。ここ「エールヴィータ牛田旭」の外部空間は、「安住の地」をコンセプトの軸とした。どこにでもあるが何気なく見過ごしていた空間をここに再現することで、過大な主張をしない空間をつくる。そこは、なぜか心地よく、気持ちいい…。日本の文化は素晴らしいなといつも思う。そんな素晴らしい文化を現代のカタチでつくる。この玄関ロビーは「通り土間」、ベンチは「井戸端」。近代の家には「通り土間」がなくなった。同時に「なんとなく気付けばお茶を飲んでいる」という曖昧な時間もなくなった。縁側に腰掛け、上がるでもなく帰るでもなく、お茶を飲みながら他愛のない話をする。日本の「間」にはそんな曖昧な空間が存在した。そんな「なんとなく」が素敵だ。木々は主張せず気付けば花が咲き、石は昔から転がっていたかのように存在する。自然のチカラとともに「わざわざ」ではなく、「なんとなく」。この空間でそんな「なんとなく」を感じ、楽しんでもらいたいと願っています。

 

img_03