そういう人にわたしはなりたい・・・(前編)
最近、毎日出会う人がいる。
その中の一人に、76歳の職人さん(Yさん)がいる。
14歳で志願兵として海軍に入隊し、貧しい時代を生き抜いた職人さんだ。
Yさんはいつも語尾にこんな言葉がつく。
「~さしてもらっている。」
「ありがたいことじゃ。」
「幸せな世の中じゃ。」
出てくる言葉は感謝の言葉ばかり。
Yさんとの出会いは二年ほど前だったと思う。
突然飛び込んだ私に親身になって相談に乗ってくれた。。。
会う度にたくさんの経験を話してくれる。仕事の事、技術の事、生き様など・・・
「わしは14歳で志願して兵隊に入った。20歳で徴兵がかかるが、できるだけ早く入って上の位に上がりたかった。
わしの歳で兵隊いった者はあまりおらん。あの頃は、元気なもんはみんな戦争に狩り出され、残ったもんは老人と20歳以下の子供だけ。。。
お国の為と言って死んでいった者がたくさんおる。
生きて帰るな・・・
そう教育された・・・あんなのうそじゃ・・・でたらめな教育じゃった・・・
「大和」を見送った後、わしの番が来る前に戦争は終わった。もう船も残ってなかったんじゃ。まだ船がのこっとったらわしも配属されとったろう・・・
わしの前に逝った若者らのお陰でこんな贅沢させてもらっとる。ありがたい。。。」
入隊間もなく防府の燃料倉庫がやられたらしい。その頃から、敗戦ムードになっていたそうだ。
「戦闘機がカラスのように大群でやってきて、ショウユ弾を落としていった。
下から大砲で反撃するも戦闘機まで届かんのんじゃ。歯が立たんかった・・・」
・・・
「戦闘機10機に追われ狙撃されたこともある。低空飛行でな・・・
草むらに寝そべって死んだふりをした時、自分を狙撃している兵士と眼があった。あの時の兵士の顔は忘れられん・・・」
・・・
「終戦後も、食えるのは麦飯か芋ばかり。麦飯も、丸麦じゃけー雑炊にせにゃくえんのじゃ。金なんてあっても意味なかった。金があっても物売ってくれんのじゃ。物々交換よ。たまに米にありつけたと思っても雑炊しか食ってないけー、米食ってもよう消化せんのんじゃ。腹壊して。。。」
・・・
「そう思やー今は幸せよ。金で物なら何でも買えるんじゃケー。」
・・・
「日本いう国は幸せな国よ。韓国や中国、インドへも仕事で行ったけど、日本みたいにどこに行っても最低限の暮らしが保障されとる国はないよ。仕事さしてもらえて、給料ちゃんともらえて。ほんまありがたい・・・」
そんな話をたくさん聞いた。。。
ゆっくりゆっくりため息をつきながら話してくれる。
その言葉には重みがある。
「わしは、生きていくのがやっとじゃった。一生懸命仕事してきたが、一つだけ後悔したことがある。。。30半ばまで親方に仕え、20年間小遣いだけで仕事してきた。。。お金がないなったら親方に小遣いもらうんよ。。。お金貯める余裕なんてなかった。。。こっちに戻ってきてここに来て初めて給料いうもんをもろうた。。。うれしかった~・・・もっと早くにこっちへ戻ってくりゃーこんなに貧乏せんで済んだのに・・・もっと計画的に動いて仕事をすればよかった・・・何年後にこうしよう、ああしようというビジョンを持たんといけん。。。」
Yさんは遠くを見つめながらそう言ってくれた。。。
Yさんと話をしていると、いつも心が洗われる。
われら世代の人々は自分の環境に感謝しなくてはならない。
遊ぶ自由も、仕事を選ぶ自由さえなかった人々が大勢いた事を忘れてはいけない。
ニートと呼ばれる人種が増えていると聞くが、挑戦できる環境にあることに気づいて欲しい。。。
何でもできる世の中である事に気づいて欲しい。。。
自分にしか出来ない何かがあることに気づいて欲しい。。。
毎日「死」と向かい合わせの生活をし、生きていくのがやっとだった人々がいることを忘れてはいけない。
仕事ができ、お金がもらえ、それで食べる物が買える世の中に感謝しなくてはいけない。
この幸せな環境に置かれた俺らがそのことを心から理解し、次世代に伝えなくてはならない。。。
親としても、
子供達に贅沢三昧に物を与え、苦労させず、冒険させず育てていくことが、子供にとってどれだけ不幸なことなのか気づかなくてはいけない。。。
何があっても生きていける精神を養ってやる、そして自分もそうなることが本当の優しさなんだと思う。。。
人それぞれそ伝える為の道具は様々だが、
俺にとって、それは・・・
「庭」であり、「わかば会」だと思っている。。。
後編に続く・・・