24th May ,2020

『thinktrough』という場所。。。

Instagram LIVEをはじめて3週間が経った

ここでもう一度確認しておきたいことがある

 

『thinktrough』という場所は答えを発信する場所ではないということ

 

おれや一緒に配信している人達が話すことは完璧ではないということ
答えでもなければ、正しいかどうかもわからない

そして、質問やコメントしてきてくれる人の内容、すべてが貴重であるということ

時におかしなトークを繰り広げることもあるかもしれない

間違っているかもしれない

時には冗談っぽく、時には真剣に、おれらがいつも話してるようにLive感を大事にしそれを配信することでみんながそれに対して意見を持ってくれることがとても重要だと思っている

正しいこと、間違ったこと、そのすべてが『思考の種』に変わればいいと思っている

ジャンルや年代を超えて共に考えたい

だからこそ、ジャンルや年代の壁の境を真剣に考えたいと思っている

そんな風に、『思考のルート』が増えることが先の人生に豊かさを生み出すことを期待しています

 

 

28th January ,2019

モノヅクリを考える。。。

見る人にはわかるかもしれない 10年前に建築家の設計で建てられた廿日市の住宅

入った瞬間にズシッと心に建築家からのメッセージが入ってきた
暮らしやすいとは程遠いその建築に、オーナーさんは心地よい暮らしをされていた

お風呂に行くにも一度外に出なきゃいけない
照明はほとんど無い

「照明が少なくて視力が落ちてしまったわ」と笑いながら語り、でもどこか幸せそうな空気をもっていた

「この住宅に満足していますか?」
僕がそう尋ねるとオーナーさんは即答で 「はい!」

なんだかとても嬉しかった

デザインってこういうことなんじゃないか

 

僕はそう思った

最近よく思うことがある
世界は常に便利なものに向けひたすら走っている
いったいその先に何があるんだろう
効率化×効率化でどんどん余白が無くなっていく
かつては当たり前に行っていた行為も 今はしなくて済むようになった

それで得たもの 失ったもの・・・

 

谷尻誠氏ともそんな話をしたが、物事は表裏一体だ
プラスマイナス0

 

何の為にモノは出来ていくんだろう

 

楽するため・・・いや、そうじゃない

 

新たなことを生み出すためだ

 

やらなくて済むようになり、そこで得た時間を使い新たな価値を生み出すために使う

 

常に人間は、考えるか、動くかしなきゃ退化していく生き物だ

 

AIはどんどん学習能力を高めている
そんな時代に僕たち人間ができることは何なのか

 

僕にはまだわからない

 

それでも、この建築は大きな希望と豊かさを、受け取れる能力のある人に、ちゃんと建てられた気がした

建物や庭、カタチだけを見てその価値を定めることはできない

そこには、そこで営む人がいる

その人にとってどんな気付きを与えることができたのか
その建物に出会わなかったら気付けなかったことがあったはずだ

 

 

これこそ デザインの存在意義だと僕は思う

 

 

庭をつくるみんなにも考えてほしい

カタチが大事なんじゃない

それをつくることで何が生まれるのか

つくりたくてつくったものがあってもいい
でも、それによってちゃんと先に進んでいるのか
その時よりも多くの人を感動させることができるようになったのか

それは出来上がったモノだけではだめなんじゃないか

 

プレゼンでそこにつくり始めるまでのプロセス

つくる過程での会話と行為

仕上がってから何をし、どう動くのか

その時々で 人の心に響くことが何なのか

 

すべてを含めモノづくりだ

 

もちろん、感動させられなければそれまでの会話は薄れる

 

だから いいものつくらなきゃ

スキルも五感も磨かなきゃ

 

 

そんなことを考えさせてくれた 建築家 村上徹氏 に敬意を表します

 

 

心してこの空間に挑む

頭の奥にある うっすらみえる景色を捻りだす

いつになるのか 生み出したときがスタートです。。。

 

 

17th March ,2017

手入れという仕事。。。

長期作庭中の現場は、材料待ちでもう少しというところで中断。。。
ここ最近は、まだ回れていない手入れに回っている
優しいクライアントでみなさん何も言わず待ってくれている
ほんとに感謝の気持ちでいっぱいの中、この時期にふさわしい鋏を入れていく

少し手入れについて書きたいと思う。
これは、あくまで自分自身の考え方であり、すべての庭師がそうでなければならないと思っていないのと、だれを責める気持ちもないので参考までに読んでほしい

ある出来事があった

庭の手入れというのは、クライアントと長い間のお付き合いになる
若かったクライアントも段々歳をとり、管理していくことが苦痛になってくる方もいらっしゃる

先日こんな事があった

「もう大変だからあの大きい樹を軒下くらいのとこでぶち切ってくれ・・・」

「はぁ・・・」

おれは何となく寂しい想いになったが切ってくれと言われた現実も受け入れざるを得なかった
長い付き合いの中でその状況も来るだろうと予測していたからだ

一旦その言葉を飲み込み、「わかりました」と返事した
実はその時の僕の心の中は悲しさと悔しさと申し訳なさで力が抜けるほどがっかりしていた

庭師の手入れというのはどういう仕事なのかを少しわかりやすく説明しときます

庭師、植木屋、造園屋・・・今は色んな呼び方がある
でも、僕にとっては呼び方なんてどうでもよく、何でもいいと思ってて、やっていることがみんな同じだとも思っていない

僕がやっていることは、空間のスタイリストみないなものなのです

手入れにしてもそう
庭や建築、背景の景色、そしてそれぞれの樹木の成長具合から空気を読み取り、心地よい空間に仕上がるよう鋏を入れていく
そして、その樹木がその樹らしく育つことができるようバランスをとっていく

樹のスタイリストです

ただバスバス切っているように見えるかもしれないし、そういう人もいるかもしれない
でもそれは違います
樹は切れば切るほど不自然になり暴れる
ただ、その樹の性質を把握することができればその樹の成長を止めることができる
厳密にいえば、落ち着いて成長するので見にくい伸び方をしなくなるのだ

そうやって、その樹らしいその樹が一番かっこよく育つことができるように鋏を入れる
無理やりかっこよくするのではなく、その樹の個性を信じ伸ばすのです
そうすることにより、その樹は手入れした後の木の輪郭を崩さなくなる
結果、鬱陶しさがなくなるのです

以前の記事に書いているが、僕は2歳の時に二階の窓から転落し、一本のカイズカイブキに乗っかって命を救われた

その後その出来事を忘れるも、15歳の時に再び思い出すこととなる

その樹の伐採話が持ち上がったのです

子供ながらにそれまで思い出すこともなかった自分の命を救ってくれた樹を切ることに罪悪感を感じ、移植してほしいと頼み込みその樹は命を取り留めた

しかし、その樹を移植するため訪れた庭師にこう言われた

「こんな樹は移す価値がない。買ってきて植える方が安い。」

俺はむかついたことを今でも忘れない

それから5年後、また忘れていたその出来事を思い出すことになる

奨学金で大学に行きながらアルバイトが必須だった頃、大工という仕事を探していたところ縁ある方から庭師というアルバイトの話をいただいた

俺は何も考えず、どんな仕事かもわからなかったがとりあえず職人みたいな感じだしと思い「お願いします」と返事した

そこでの初日、手入れに行った現場でハッとする

その庭の骨格をつくる一番大事な主木に5mほどの大きなカイズカイブキがそそり立っていた

「あ・・・おれの命を救ってくれた樹だ・・・」

初日から鋏を渡され、カシャカシャ切っているうちに何か感じるものがあった

 

「これが自分の仕事になる・・・天職かもしれない」

 

不思議とそう思った
それから、楽しくまたとても厳しい過酷な修行時代が始まった

修行時代の話や、NIWATAN という屋号にした理由も以前書いているのでそれを読んでほしい
今日はそのことは省きます

それからは色んなことがあった
そんな中、多く考えさせられたのが人々が持つ「樹」に対する気持ちでした
あまりに鬱陶しいと言われる樹が多かったのです
ずっとそれを聞いているうちにだんだんとその樹たちのことが可哀そうに思えてきた
その言葉を聞くたびに、どうにかこの樹たちを褒めてもらえる樹にできないかと考えるようになるのです

独立してから、従来親方から教わった鋏の入れ方を少しずつ変えた
樹の成長に合わせた鋏の入れ方にした
手入れに行っても、切らなくていい樹は鋏を入れない
一本の樹を眺めその判断を自分ですることも手入れの一つの仕事だ
クライアントにとっても手入れするお金もゴミ代もかからないわけだからいいんです

そうやって樹と真摯に向き合ううちに、樹の気持ちがわかってきたというか、性質がわかってきた

すると、樹の成長をコントロールできるようになった

結果、鬱陶しいという言葉は聞かなくなり、伐採してほしいという案件もほぼ無くなった

 

「俺は今、樹の命を救ってる・・・

俺があの時命を救われたのはこういう事だったのか・・・」

 

樹の気持ちを代弁できる職業は庭師以外にはない
自分がそれに気付き、感じることができるなら、それを伝えられるのは自分しかいないのかもしれない・・・
そう思うようになった
もちろん、それは樹のことだけではなく、石、素材、自然界のあらゆることを・・・

樹の命を救う
これは、ただ単に生かしておけばいいわけではない
かっこよく生きてもらいたいのです
おれが、自分なりに自信をもって「お前はかっこいい」と言えるように育ててあげたいのです

で、先ほどの話に戻りますが、「ぶち切ってほしい」・・・久々に聞いた言葉でした

それを聞いた時のおれには二つの気持ちが浮かんだ

一つは、その樹を守れなかった自分の技術と言葉の無さに樹に申し訳ない気持ち
もう一つは、「このままぶち切るという気持ちでは切れない」という気持ち

おれはクライアントを呼び、言葉をかけた

「軒下部分で切ってもまた3年もすれば元の大きさにに戻ります。しかも不格好な伸び方で。僕はそんな姿になるこの樹が可哀そうに思います。人間で言えば、裸にされてダッサイ服着せられて立たされるようなもんです。だから下から切ります。今の時期なら下から切っても吹き返します。そして、この樹らしくかっこよくコンパクトに裁いていきます。それでいいですか。

ただ、一つお願いがあります。あの樹を切る前に一度、樹に頭を下げてください。今まで100年近くこの家で育ってくれたんです。切らなければならない事情は理解できます。樹もきっとわかってくれます。これを植えたご先祖様も、もちろんあなたたちのことが大事だと思います。だから、あなたたちの選択は間違っていません。僕も嫌なわけではないんです。ただ、この樹にありがとうと感謝の気持ちを持ってください。ぶち切るという言葉は使ってはいけません。これは気持ちの問題です。樹も生きています。。。」

 

そう語りかけ、そしてその後、僕がなぜ庭師になったのかを詳しくお話しした

そしてクライアントはしっかりと感謝の気持ちを樹に伝えてくれた

樹を伐採したり切ったりすることが悪いわけではありません
自然界では何かが生きるために何かが犠牲になりバランスが取れています
気付かず間違ったことをしているかもしれません
それも仕方ありません
でも自然に対する感謝の気持ちだけは持っていてほしいなと思うのです
それは人にも繋がってくると思います

私たちは人間界に生きています
だから、人々の営みは非常に重要で、それも守らなければいけません
人が鬱陶しいと思う気持ち、庭で感じるストレス、そう思う人が悪いとは思いません
人の気持ちというものは、教科書のようにうまくはいかないのです
そう思ったらそれが大事な気持ちなのです
その気持ちを解消させることも庭師である私たちの仕事なのです
それをどう、解消させるかがその庭師の力量で結果は変わる
その後の人生にもプラスになる出来事がその庭で生まれればそんな嬉しいことはないと思います

手入れは、そんなことも考え、鋏を入れていくのです
樹の成長をコントロールできればゴミの量が減ります
2年に1回の鋏でいい樹もたくさんあります
はじめの3年鋏を入れた後、10年鋏を入れていない樹もあります
管理費も無駄な使い方をさせたくはないと思っています

庭の管理には手がかかります

庭は必ず必要なものではありません

でも、絶対に必要だと思ってくださっているクライアント他、多くの人々がいます

その方々に感謝しながら、しっかりと真摯に手入れをしたい

その樹の良さ、石の良さ、空気の良さを最大限に引き出せる技術と感覚を磨きながら・・・

そして、その植物、石、自然の景色は多くの生きるヒントを持っています
もちろん、それを無理強いするつもりもありません

考え方はひとそれぞれでいいと思っています

ただ、せっかく出会えた人には、こういうことも伝える機会があれば遠慮なく伝えようと・・・

そんな想いで手入れをしています

少しコムズカシイ文章になりましたが、庭の手入れとはそんなものです。。。

人も自然も、自然にあることを受け止め、それをどう対処するかを考えていけばいいのだと思います
これはどの職業、生き方でも同じことがいえるかもしれません

 

今度はいつか 庭づくり について書きますね

20th December ,2013

ひとつの現場を終えて 『ひとつ』の重要性を思い知る。。。

昨日、ひとつの現場を終えた
今回の現場ほど「ひとつ」の大切さを噛みしめた現場は今までになかった
自分が「ひとつひとつ」を積み重ねてきたことも改めて思い知った
そして、これでよかったんだと痛感した
今回の現場は、大したことはしていない
鉄の屏風を立て、植栽をし、石を据えた。。。
ほんとに大したことはしていない
ただ、すごく力が出ている。。。
本来、9/6完成を目指していた
工事中、建築の撮影が延びたこともあり、竣工時期に余裕ができた
結局、10日余りも竣工が延びてしまった。。。
何度も自分の中でこれでいいんだと言い聞かせた
最後までとことんやろう、、、苦しみながらいつも言い聞かせる。。。
言うまでもなく、日数がかさむとお金は飛んでいく
人数入っているとそれは大きい
そういう考えたくないプレッシャーも押し寄せてくるのである
そんなことを忘れるように
端折っちゃいけない。。。端折っちゃいけない。。。
ひとつひとつ・・・いつかは終わる・・・『ひとつひとつ』
淡々と動く
連日連夜、作業は遅くまで続いた
そんな中で、あらためて多くの事を感じた
おれは、現場に入ってここまでやると決めたら何時になろうがやめない
集中に入ってしまう
ご飯さえ欲しくなくなる
とにかく好きなんだと思う
ただ、何が好きなのかに今回気付いた気がする
それは、「すべてを生かす」ことが好きなんだと。。。
それが庭かと言えば、そうでもないのだ
大きく言えば、「全体の空気感」。。。
そこから見えるすべてのもの。。。
大きなモノ は 景色。
それから 建築。
それから 庭。
それから 樹木。
それから 樹木が空に作り出す空間。
それから おっきな石。
それから 中くらいの石。
それから ちっちゃな石。
それから それらを作るために使う道具。
それから 職人の動き。
それから 作業中の杭や型枠。
それから 掘った土。
・・・・・
果てしなく細かくなっていく。
しかし、その細かい「ヒトツ」の集合体が、えげつない迫力をもつ『空気』を生み出すんだ
要するに、その「ヒトツ」がちゃんとできてなきゃそんな「空気」は作れないんだと痛感した
おれは、植栽や石組みをする前に、仕上げかというほど綺麗に地面を均す
また掘って荒れるのに、それでも均す
それは、へんな線が見えない空気の動きを止めるからだ
汚いラインが見えると、のってきてフラッシュバックのように見えた景色が一瞬にして消えてしまうからだ
植栽や石組みというのは、それだけ神経をつかう
集中してなきゃまったく何も決められないんだ
フラッシュバックのように目の前に現れる景色はすさまじく元気がよく、空気が踊ってる
それに押されて気分が乗ってくる
そんな時は、もう他のモノは何も見えてないのである
しかし、そんな時に何か気になることがあるともう前には進めなくなる
気になる事を置いてはいけないのだ
そんな時 「ひとつ」を大事にと良く思う
おれはさっき、何時になってもやめないと言ったが、好きで遅くまでしているわけじゃない。
『ひとつ』の積み重ねをやってきた結果、今のスタイルになった
どういうことかというと・・・
たとえば  「ひとつ」の仕事が終わるたびに、道具を整理する
そして、その日もう使わないなら片づける。
また使うものは一か所にまとめる
そして、次の作業に移りやすい準備をしておく
たとえば  右に歩いていくときには、右に持っていくものがないかを瞬時に判断し、あればついでに持っていく
たとえば  使った道具は立てて置き、地面や建物につけない
汚したくないから。汚れた道具をさわると手が汚れ、現場や周りの物を汚すことになるから
他にも 車を綺麗に止める 気が乱れるから事故につながるから
近所に人にあいさつする 苦情が出にくくなるから・・・
そういう細かい 「アホ」 みたいな 「はなくそ」 みたいな細かいことをいつも瞬時に考えながら動いてきた
その結果、作業に区切りがなくなった
「ひとつ」の作業が終わると すぐに次の作業に移れてしまうのである
簡単に次に移れるから 「次 これやっとこう」ってことになる
現場も汚れないから少し汚れたらすぐにわかる  だから作業のついでに短時間で掃除ができるようになった
結果的に、時間に余裕ができて考える時間をしっかり取り、凝縮して作業できるようになった
こんなこと言うと、おれはどれだけ細かい人間なんだと思うかもしれないが、ほんとはおれは細かくない
こんなことになったのは、いかに「短時間でロスをなくし クオリティーの高い仕事をするか。。。」を常に追求してきたからだ
かといって、今の自分が最高だとは全く思ってない
もっともっといい方法があるはずだと常に思ってる
だから、昨日やった方法と、今日やる方法が違うことはよくある
そして、いつも思うことは、
時間には限りがある  でも 『出来上がるモノ』 に限りはないということ
ということは、限界を決めるのは 『時間』 なのである
『ヒトツ』の作業で 1分でも1秒でも時間をつくることができれば、その 1秒 が 1年後 に 1日 に変貌する可能性を秘めているということだ
もちろん個人差はあるが、それだけ『ひとつ ひとつ』ということは大きい
もっと細かく言えば
『一歩』 をどこに踏み出すかが最も重要なのです
今回の現場で、多くの事を学びました
クライアント、関係者の皆様、仲間のみんな。。。
ありがとうございました
この現場、来年 『オープンハウス』 予定ですのでお楽しみに。。。
12th December ,2012

『TEAM NIWATAN』。。。

とにかくやることがいっぱい・・・


図面の締切も、打ち合わせも予定がいっぱい。。。


現場はといえば、年内はもう間に合わないかもしれないくらいギュウギュウで、倉吉から「じゅんにい」ことかわべぢゅんが応援に来てくれてて、ときどき「kokorone hair」の原田も来てくれたり、エダヒロしゃんも来てくれたり、しあさってからは、出雲から「みはらちゃん」が来てくれて、多分そのころ「タツキ」が来てくれる。。。

今は年間通常の「手入れ」に回ってるんだけど、この仕事はかなり大事な仕事。。。
それは、忙しくなかった頃に応援してくれてたクライアントが多いし、みんなずっと応援し続けてくれてるから。
時期がかなり遅れてる現場もあるけど、みんな「いいよ^^来れる時で。。。」って言ってくれる。。。
現場に行くと、みんなすぐにお茶出してくれて、すごく話しかけてくれる。

ほとんどのクライアントが会った瞬間に「ちゃんとご飯食べてる?体大事にせんと駄目よ。無理しちゃダメ。まだまだこれからなんだから。。。」って気遣ってくれる。。。



クライアントも、仲間もみんなが一緒になって助けてくれる。。。



みんな「team NIWATAN」。。。



本当に幸せを感じる。。。


みんな・・・ありがとう



じゃけ~がんばれるんよな。。。

30th October ,2012

常識。。。

先日、広島県立福山明王台高校で講演をした。

全校生徒950名くらいかな。

題名は「自然に生きる」。。。

一時間と言われていた時間はあっという間に過ぎ、結局1時間45分も話してしまった。

おれは、事前に話すことを決めておくのが苦手なんよ。
だから、みんなの顔を見ながら話そうとおもっとった。

とりあえずは、おれが何をしている人間なのか、どうしてここに呼ばれたのか・・・そんな話をした。

それから、高校時代から今まで、どういう道を歩んできたのか、これからどうしていくのか・・・など。

高校時代の話は、打ち合わせの段階でほとんどがNGとなり、ほぼ話すことができなかったが、その後の人生においては包み隠さず話した。

生徒たちははじめの話なんてどうでもよさそうだった。

が・・・

どういう道を歩んできたかって話になると、だんだん真剣に聞き出した。

おれはいろんなことを話した。

そんな中で何度も言ったコトバがある。

それは、「常識に惑わされないこと」。。。

「世の中の常識」というものの中には、元の「本質」というものが隠れている。

だけど、「コトバ」は独り歩きし、そのうち「本質」は伝えられなくなっていく。

「常識」を伝える人間も、歳も立場も関係なく、自分の立場を基準に発言していく。

それによって、いろんなことが歪んでいく。

このネットという媒体もその一つだと思う。

不特定多数の様々なレベルの人間が同じモノを見て何かを考える。

それはそれでいいんだけど、それがすべてだと思うならとても危険なことだとオレは思う。

世の中はとても便利になってきた。

ただそれを機に、大事なことが伝えられなくなってきているとオレは思う。

例えば・・・

「バリアフリー」このコトバを耳にすることはほんとに多い。

「完全バリアフリーです」って自信を持って言ってる人を見ると悲しくなってくる。

すべてにおいて悪いとは言わない。

でも、おれには「あなた一人で生きてくださいね」って聞こえてしまう・・・

「バリアフリー」って、ある意味「人と人との関わり」を無くしていくコトだとオレは思う。

人が周りを気遣い、手助けし、困っている人がいれば誰もが手を貸す。これが当たり前にできれば、特に公共スペースなど「バリアフリー」にする必要はないのに・・・って思う。

それができないから今の流れになってる。そう言い切ってしまうと、もう人と助け合うという文化は薄れる一方だとオレは思う。

多分、はじめは「ちょっと過ごしやすく」って程度だったんじゃないかなって思うんよ。。。

今、若い子の中でおれにとっては不思議なことが起きている。

もちろん、みんなとは言わないが、多くこんな話を聞く。

「安定」を求めている若者が多いということ。。。

先日も大学生と話をする機会があり、そんな話になった。

「安定」って何なんだろう。

こんな「不安定」な世の中で、「安定」なんてあるんかな・・・

あまりによくこの「安定」って「コトバ」を聞くからオレはずっと考えてた。

この世の中でもし「安定」があるとすれば、多分「安定」を求めてる子は何か勘違いしてるかもしれない。

「安定」というのは「歩き続ける」ということなんじゃないかな。

止まった時点で「安定」は無くなる。

それはなぜかというと、世の中が歩き続けてるから。。。

「安定」=「楽」ではないんよ。

そして、より努力して一歩一歩を先に進めることができる人間が、より「安定」していく。

多分その人は「安定」を求めてるわけじゃないんよな。

つまり、「安定」を求めた時点で「安定」ではなくなるんじゃないかってオレは思う。

なんか、だらだらと書いたけど、何が言いたいかというと、

「自分が思ったことをしっかりと受け止めて大事にしてほしい」ということ。

世の中でいう「あたりまえの綺麗なコトバ」じゃなくて、「本当の心の中にあるコトバ」を大事にしてほしいとおれは思う。。。

それは汚くてもいい。

ナマケモノでもいい。

そんな自分を理解できれば必ず次の道は見えてくる。

そこからまた、「歩き続けることができる幸せ」を感じてほしいと心から願う。。。

オレが高校生に最後に言った言葉。。。

みんな楽しく生きてほしい。。。

おれが伝えたいのはただそれだけ。。。

何か伝わればいいな。。。

17th July ,2012

仕事って。。。

今日は午前中図面や段取りなどを済ませ、午後から現場、手入れに行った。


昨日から、タツキが応援に来てとるけーほんまに助かる。。。



二週間ほど前に、新たなスタッフが1人入り、今いろいろと話をしながら仕事をしているが、今日こんなことがあった。


今日の現場は毎年 年に二回入る地元の古いお寺。


そこのお母様が、おれが落とした山茶花の枝をお供えに使いたいとせっせと拾ってた。

その間、お母様はいろんな話を俺にしてくる。

おれは、そんな時、手は止めないが、仕事のペースを落としゆっくりと鋏を入れる。

話の腰を折りたくないから。


そんなやりとりをしている中、若いスタッフがこちらに歩いてきて、

「もうこの枝は運んでもいいですか?」

と枝をより分けている途中のお母様に尋ねた。



お母様は、

「もう少しだけそこに適当においてもらって残りは運んでください・・・それより、お茶を飲みなさい。あっ、三時のお茶を準備しなきゃ。。。話はまた後で・・・」


こう言い、中に入っていかれた。

結構大事な話の途中だった・・・

おれは寂しそうなお母様の背中を見送り、少し悲しくなった。。。



若いスタッフに言った。


「空気を読め。」と。。。



お母様は、いつもおれに言う。

「あなたが来てくれたらほんとにうれしいのよ。

話し相手がいてくれて、庭も綺麗になるし、心がスーっとします。。。」


だからおれはいつもお母様との会話を大事にしてきた。



仕事ってほんとはこれが一番大事なことだとおれは思ってる。



庭を綺麗にしたり、樹を元気にしたり、そんなことは当たり前にすることで、でも一番大事なことは、「きもちいい、うれしい」そう思ってもらえること以外に何があるんだろうか。



おれは最近、よく若い奴に話す。


なぜおまえが生活できるのか。


女を守るってどういうことなのか。


やりたいことをやって生きるってどういうことなのか。




曖昧に捕らえていることがほんまに多いんじゃ。


でもこれをわかりやすくコトバに変えると、このすべてに「お金」って関わってくる。



おれは「お金」にそんなに執着はないし、贅沢したいなんて思ったこともない。

でも、やりたいことをやるとき、やっぱり「お金」はかかる。


とにかく「生きる」ことに多少なりとも「お金」がかかる。



じゃあ、その「お金」はどうやって生まれるのか。



それは、人が相手に対する「感謝」の気持ちに他ならない。



「感謝」を「お金」に換えているだけのことなんじゃ。



だから、動けばいいんじゃない。感謝されなきゃやっても意味ないんだ。特におれらの仕事は。



おれは若いスタッフに言った。


「俺らは芸術家じゃない。職人だ。

相手がはじめから決まってて、その人に喜んでもらえる仕事をするだけのこと。

おれらはその中でも「一段階上の喜び」を味わってもらえるように頑張ってるだけ。

それは、経験がないとできないことばかりじゃない。

経験がなくても、ほんとに親身に相手の気持ちを考えてあげれば出来ることが必ずある。

それは、俺や、応援に来てくれた職人、周りのすべての人のことを同じように考えればやることは出来ることは山ほどある。


相手の立場に立てない奴に「生きるチカラ」は身につかない。


どんな仕事につこうと、これは絶対に変わらない。


よく考えろ。。。」




ほんとは、仕事なんて何やってても変わらない。




それに気がつけば「人」ってどんどんおっきくなる気がする。。。


3rd July ,2012

気付くということ。。。

気付くということは、凄いことだと思う。



人が気付くとき、必ず人が絡む。




自分ひとりで気付くことなんて何もない。




自分が出会い、話し、関わってきた出来事。。。




そして、その出会いによって自分が何に心を動かされてきたのか。。。



そんなことを思うと、おのずと自分の道が見えてくる。



でもそれは、本当は勘違いなのかもしれない。。。





勘違いでもいい。





それを心から楽しいと思えるなら。。。




おれはそう思う。。。





気付くということはほんとに素晴らしい。。。

5th February ,2012

恩返し~スキルという餞別~

今週半ばから、「お祭り」のような現場に着工する。。。



本来なら一ヶ月はかけたい現場。



ただ、工期にいろんな制約があり二週間で完結せんといけんのんじゃ。


さらに、そのうち9日間は車の出入りができない。。。


実質、初めの5日間がほんまに勝負なんじゃ。



実は、今年の4月末で一番弟子であり番頭の竜樹は独立、帰省する。


それもあって、この工事には東京の仲間と、滋賀の仲間 計4人に応援を要請した。



竜樹は俺のもとに来て3年ちょっと。


まだまだじゃけど、ほんまに頑張り屋でよう成長した。



今週から4月末まで、面白い工事が続く。



この三か月の現場は竜樹への餞別じゃと俺はおっもっとる。



あいつが初めて俺のもとにきてはいった現場は『森×hako』じゃった。


昼夜関係なく二か月間、庭に没頭した。


来てすぐに、大変な現場を経験した竜樹は、完成前々日に疲労と安堵感からか寒気を装い倒れた。


しかし、完成前日の朝には元気な顔で出てきた。


そうやって、あいつは体力と根性を培っていった。


難しい仕事も、朝までかかってでもやらせた。


俺が現場を上がった後も、必死で頑張っとった。



そうやって、徐々に手仕事を教えていき、スキルを磨いた。



そして、様々な問題を起こすことで俺にも勉強させてくれた。



俺はずっと竜樹に言ってきた。


「20代のお前に充分な金は与えない。ただ、生涯お金を生むことができる『スキル』をおまえにつけてやる。だからがんばれ。求めることはだんだんレベルアップしていく。高い要求をされる度に、「ここまでは来た。」と思ってがんばれ。。。」



もうどこに行っても重宝される人材に育った。


本当の『スキル』は心の中にある。



『スキル』を身につけるだけの心と根性さえあれば、もうそれで十分なんじゃ。





最後に近い現場で俺は竜樹に餞別として、一流のスーパー助っ人を呼んだ。



東京 塩の潤 、滋賀 永屋タクロー。。。



彼らと共に一つの庭をつくることができるのは二度とないかもしれん。



この餞別で、もう一歩成長してほしい。。。




この経験は、必ず今後に生きる。




今、うちは「スタッフ募集」をかけとる。


でもなかなか応募がない。



若者に一言言っておく。


人生に安定なんかない。


もしもあるとするなら、それは「スキル」に他ならない。


この世に無くなる職業なんてない。誰よりも素晴らしい「スキル」と「根性」を身につければそれは一番の安定となる。。。



20代で金もっちゃだめじゃ。



お金がなくても楽しく遊べる「スキル」を磨くのも、20代の特権じゃけえな。


そんな20代で、楽して金もらったらほんとの楽しさはわからんのんじゃけえ。。。



とにかく苦しいことに飛び込んだほうがいい。。。



目先の金じゃなく、生涯の豊かさを真剣に考えてほしい。


話がそれたので、このことは後日、もう一度アップする。。。




とにかく、これからの現場で竜樹に餞別と共に恩返ししようと思う。




カタチは違うが、「スキル」と「楽しさ」というモノで。。。

6th January ,2012

政治家。。。

1/5より、業務開始です。。。



去年の終わりに、『しっかりと見つめる。。。』というタイトルで日記をアップした。



そこにこんなコメントが寄せられた。

>政治家になるんですか?





・・・

思わずため息がでた。。。



ちょっと何かを変えようと思うとすぐにこういう意見が出てくる。


そもそも、この考えがいけんとおれはおもっとる。



今の世の中が政治家によってつくられたと思う???


そりゃ違うで。



政治家は整理しとるだけじゃろ。



何事においても、間違いなく一人の人間からはじまっとるんじゃろ。。。


何事を始めるのも一人の人。。。




それが自分自身であることをわすれちゃいけん。



文句言うより、やるほうがいい。




仮に周りがピクリとも変わらんかったとしても、しっかり自分に何かが残るけえな。。。




できることをやってないこと、たくさんあるしな。




力は無限よな。。。

1 2 3