25th November ,2010

市民表彰を受けて。。。

福山市から「市民表彰」を受けた。
『private plots 2010 1st prize』の功績を讃えられて。。。

市長に呼ばれ、市のおっきな部屋に行った。
俺は複雑だった。。。
ここに来るまでに9年という歳月がかかった。。。
しかし、思いとは裏腹、この日は感慨深い一日となった・・・

独立して9年半が過ぎようとしている。
福山に戻ったとき、この福山には大きな問題が山積みだった。
今も変わらない。
縁あってか、そんな問題に直面する出来事、出逢いがたくさんあった。
何かやれと言わんばかりに・・・

「大好きな福山の為に自分にもできる事があるんじゃないか・・・」

俺は徐々にそう思い始めた。。。
そのことは、鞆の浦に関わり、景観に関わる仕事をしとる自分にとっては必然のことじゃった。
俺は、異業種交流会を結成し、よくみんなで遅くまで福山について語り合った。
政治にも踏み込んだ。
様々な試みにチャレンジした。
衆議院議員も巻き込んだ。


そして、市長も巻き込もうと思った。。。

それが三年前・・・(その頃の日記)
あの時書いたこと・・・

わかってはいたものの、裏にはとてつもなく真っっっっっっ黒な世界があるという事、正規のルートじゃ、権力者じゃなきゃ太刀打ちできない事を思い知った。

今は言えないが、秘策は見つかった。。。

俺は、権力者にもならず、「水辺公園プロジェクト」とも違う、一市民としてそれで戦ってやる。

新種の爆弾を入手したわけじゃ^^^^^^
もちろん、仲間はおるしな^^

結局、純粋に俺は俺のやり方でやっていこうと思ったわけじゃ。

やっぱそうじゃないと面白~ないもんな~。

いち庭師のzenjiroとしてのやり方でやっていく^^

・・・


そのやり方というのが、「世界一」という道じゃった。

正直、爆弾を入手したわけじゃなかった。
爆弾を入手する方法を見つけただけだったけど、絶対にとる気だった。
あの時言わんかったのは、言いたくなかったから。
現実味がないから。
大きな口を叩きたくなかったから。
権力者にはなりたくないから。。。
あまりにも大きく、遠い夢だった。
でも真剣だった。

本気でこの道しかないと思った。
だから俺は「世界」に出た。
国内じゃなく、色眼鏡のない「世界」に。

正直、こんなに早く結果が出るとは思ってなかった。
俺は、市長に会うまで複雑な気持ちだった。

なぜなら、以前俺は三年前までの二年間、市長にアポを取り続けていた。
あらゆる手を使い、俺らのような、表に出る事の無い若者とのパイプを何とか作って欲しかった。。。
しかし、それが実現する事はなかった。

そして最後に言われた言葉・・・

「わけのわからん奴には会えん・・・」

その時は、当たり前じゃと思いつつ、でも正直腹立った。。。
その「わけのわからんやつ」が三年経って「表彰」されることになんとなく複雑じゃった。
そんな気持ちの中、俺は市長と一対一の歓談をした。

なぜ、市が動けないのか。。。
おれは、ヨーロッパに行き、気付いたことがある。
人の意識の差・・・
それがなぜなのかもわかる。
何が一番必要なのか。
今回自分が海外から持って帰った宝を胸に・・・

市長との話の中でこんな話をした。

「長期のビジョンで福山をつくる努力をしてほしい。その為の仲間は私の周りにたくさんいます。その人材を使って欲しい。」

市長はこう答えた。

「今はすぐに結果を求められる。
 来年結果をださなければ住民からNOと言われる。難しい問題です。

 私は昔イギリスにいたことがある。その時の都市計画に驚いた。
 たいした工事はしてないのに、100年かけてやると言っていた。
 何でこんな工事に100年もかかるのかと驚いたことがある。日本じゃ考えられない。。。」

俺はこう答えた。

「なぜ、大したことのない工事に100年かけるのか、私にはわかります。

 残す為です。

 より多くの人に歴史を大切にするという意識を持たせる為です。

 5年や10年で出来てしまうものはすぐになくなります。なぜなら、そこに一代しか関わらないからです。
 一代で作ったものは一代でなくなります。100年で作るには、3代、4代の人が関わります。
 受け継ぐにつれ、その重みを実感していくのです。
 そして、そこに関わる人数は、単に4倍ではなく、計り知れない人数になるのです。
 そして、その人の心のリレーこそが「文化」に発展するのです。
 難しいのはわかります。みなさんが、本意ではないことが多々あることもよくわかります。
 でも、それがわかるなら、一緒に第一歩を踏み出しましょう。
 一人では何もできません。みんなでやっていくのです。
 少しずつでもいい。民意を変えていくのです。。。」

その他、たくさんの話をした。
市長との歓談後、副市長、秘書、広報課、その他部署の課長など、たくさんの人達とお話した。
一人一人は決して悪くない。
みんな心は持っている。
俺はみんなに言った。

「私は三年前、あなたたちに相手にもされませんでした。
 しかし、皆さんを責めるつもりはありません。
 いろんな問題もありますが、それも責めるつもりはありません。
 しかし、このままでいいとも思いません。
 一緒にやりましょう。
 楽しんで頑張れる福山に、長い眼で見てやっていきましょう。
 あなたたちだけじゃなく、私たちと一緒に。。。」

偉そうだったかもしれない。
でも、これは俺の本心です。
こう、言えるまでに長い年月がかかりました。

三年前には、この言葉は言えなかっただろう。。。

あのころと変わらなかったこと、それは「福山が好きだ」ということ。
でも、三年前の文章から変わったことが一つだけある。

それは、この文章。。。

更に、これもわかってはいたが、市役所はまったくやる気がない事も改めて思い知った。

これは間違っている。
今の俺はそうは思っていない。
誰かを責めてもなにも生まれない。
敵を敵だと思っていては何も変わらない。
結果がでなければ叩く、失敗すればまず叩く、そんな批判はもうたくさん。
すべてを自分に置き換えて、考えよう。。。

しっかり一人一人を見つめ、前へ進んでいける道を、俺らがつくっていく。
そう、たくさんの仲間と共に。。。
ついに種を撒く時が来た。。。
そんな気分です・・・

コンペの受賞を受け、たくさんのモノをもらった。。。
この環境に心から感謝しています。。。
まだまだできる事がたくさんある。。。
道は拓けてくる。。。

必ず・・・

27th October ,2010

庭師のお仕事

絵描きさんちの庭の手入れ。
ここは、おとどし私が作った庭です。

庭というよりは、要望が「庭をつくっちゃいけんよ。絵になる景色をつくって。」って受けたので、ほんとに、自然な感じの庭なんです。

植わってる樹種については、この絵描きさんの作風にあった木をうえたのですが。

前も書きましたが、ほんとに自然な手入れをする庭で、これで仕上がり?位の感じに仕上げる庭です。

この人は、血縁関係があり私のお祖母さんではないのですが、お祖母さん的な人で、昔からほんとに、私を育ててくれてる感がヒシヒシと伝わってきて、有難いお施主さんです。

その人が、今日
「三時に出すお菓子がないから、近くのギャラリー喫茶にお茶しに行こう。ちょうど、展示会開かれてるから誰と行こうかってなやんでたの。」
って言ってくれたんです。

「茶兵衛」というギャラリー喫茶で、ちょうど古伊万里の展示会をしていて、京都から美術館級の古伊万里を持って来られて、展示してありました。

京都から運んで来られた方とも、とてもいい話ができ、勉強させていただきました。



庭師の仕事って、こんなケースもあるんです。。。



庭師って、年に一回以上はお施主さんとの接点があり、そのお施主さんは、私が行くのをとても楽しみにして下さっているんです。

そんな方が多くて、一生懸命話をしてくださるんです。
それは、日常のグチであったり、孫や子供の自慢であったり、自分の日々の生活の話であったり、様々です。



そんな話を聞いてあげられるのも、立派な庭師の仕事だと私は思うんです。。。



その後で自分がしんどい思いをする事は、言わなくてもわかると思いますが・・・
休憩を沢山したからといって、やはり一日の仕事はするべきであって・・・


でも、お施主さんのとこに行き、そんなたわいもない話を時間をかけてしてくれるって事が私は嬉しいんです。



結局、今日は朝行って、朝から一時間ほど会話を交わし、仕事を始めたのは9:00.
15:00にギャラリーに行き、帰ってきたのは16:30。
ろくに仕事ができませんでした。18:00までは仕事をしましたが、今の時期は、日がおちるのが早い為、それ以上はできません。。。

明日は07:30には、仕事を始めないと挽回できない。。。

が・・・私は、こんなお施主さんが大好きだ。
ほんとに、有難いと思う。

12th October ,2010

ヤマモモ

応援で、植栽工事に行った。
以前、家を建て直すということで、預かっていた樹木7本、新たに植えるもの3本、
やまもも、イタヤカエデ、枝垂れ梅。

大物は、アラカシとやまもも。

アラカシは、春に掘って帰っているので細根がよくでていた。
問題はやまももだった。何十年か前に植えられて一度も掘っていないのである。しかも、ヤマモモの場合は時期的にあまり良くない。ヤマモモは寒さに弱い木なんです。春に掘るほうが安全だと思っています。秋の方がいいって人もいるけどね。。。
お客さんがどうしてもこの木がいいと言ったそうです。工事の段取りの関係で今しか植えれないので、枯れてもいいからやってみてくれ。と。

木を愛してくれるいいお客さんだった。こんなにこのヤマモモが好きならと、一生懸命掘った。掘ってみると、案外太い根は出ておらず、これなら大丈夫かもしれない。と思った。写真は積み込み作業中。

木の移植は難しいようで簡単、簡単なようで難しい。生き物相手ってのは、言い訳のように聞こえるが、実際そうである。これなら大丈夫って思ったものが枯れたり、これは厳しいかもっておもったやつが元気に育ったり、ほんとに不思議なことは多いんです。
要は、バランスなのですが、私は正直「運」もかなりあると思う。その日の天気、気温、湿度すべてが関係してくるんです。特に根っこ。乾くと良くないんです。

バランスってのは、木は根っこで養分、水分を吸い上げ、枝葉に供給する。根っこと地上より上とのバランスがとれたものは、伸び伸びと育ってくれるんです。根っこを切った時には上も透かしてやらないといけない。残った根っこが吸い上げる養分で生きていける程度の枝葉にしてやらないといけないんです。
逆に、植わっている木をめちゃくちゃに切ると、根っこが上げる養分が有り余って偏って枝葉に伝わり無茶苦茶にのびるんです。いじけるんです。
要は、バランス。。。

よく、「移植ってのはいつがいいの?」って聞かれるんですが、木によって、最も良い移植時期ってのは違うんです。もちろん、それ以外は無理って事はないんですけどね。古木の場合は気をつけないと枯れてしまったりするけど。。。

私は移植の時、いつも思います。「頼む。元気に育ってくれよ。」って。愛情って木にも伝わると思うんです。むしろ、植物達の方が正直なような気さえしてきます。植えるまでに最善を尽くし、あとは木の生命力にまかせるしかないんです。もちろん、ケアは必要ですけどね。水遣りとか、場合によっては肥料とか。

ほんと、人間みたいでしょ。

ヤマモモは、明日現場に植えにいきます。
「頼む。がんばって根付いてくれよ・・・」

5th February ,2009

「森×hako」を終えて、夢をカタチに・・・

7年前の独立直後、仕事もない頃にしとんと再会した。

二人は高校時代の親友。
あの頃、学校も行かず、毎日パチンコ三昧、飲みに行くわ、警察のお世話になる事もあったオレらは10年の時を経て少し変わっていた。

にしとんも家の事情で厳しい状況に耐えていた。
10年振りにあったおれらは、自分が目指す仕事のスタンスについて夜中まで語った。。。

その時のにしとんのコトバ・・・


「森の中で診察したい。。。」


オレはそのコトバにこう返した。


「やろうや。いつかやろうや。オレが森をつくっちゃる。」


この時の約束を胸に、オレらは幾度となく励ましあってきた。

ここまでの道のりは互いに楽ではなかった。。。

何かがあると飲みに行き、夜中まで話し元気をもらった。。。

話しているうちに、何でもできそうな気になってくる。。。


そんな中、まえちゃんという強い味方との再会があった。
まえちゃんとの再会も絶妙で、以前のナンパ仲間じゃった。


それからというもの、三人は同じ目標を胸に励ましあってきた。

この七年間、彼らがおらんかったら今のオレはおらんじゃろう。。。


潰れそうになった時、道をはずしそうになった時、いつも二人はオレを連れ出してくれた。。。

最後は
「何とかなるで。やるだけじゃろ。やったらえーがー。」
これが口癖になった。


そして、この福山の地を愛し、その故に問題を常に考えてきたオレらは、その夢をもっと大きな物に変えていった。。。



「この空間で福山を変えよう。一人でも多くの人が景色に興味をもてるような、ゆとりをもてるようになるような空間にしよう。。。みんなが思いを持てる福山に。。。福山を変えるスタート地点に。。。」


三人の夢は膨らんだ。。。


七年越しの夢をカタチに。。。

カタチにしようというオレらの思いは強かった。。。



三人の話し合いはいつも朝方まで続いた。。。

そんな中、半年前に夢の現場はスタートした。


スタート間もない頃、大きなミスに気づいた。
ガラスの搬入に関することじゃった。

勉強不足で、先にガラスを入れなければ、作庭後では入らない事に気づいた。。。

ここは、四つの空間をガラスで仕切る仕組みになっており、ガラスをすべて入れるということは、樹木、石、土、生コンなどすべての材料を窓から人力で搬入することになる事を意味していた。

工程に大きな差が出てくる重大なことじゃった。

やばい・・・おれは動揺した。。。

長年連れ添ってきた二人がオレの異変に気づくのに時間は掛からなかった。


二人はオレを現場から連れ出し、元気付けてくれた。。。


オレは腹を据えた。。。

どんなに時間がかかっても、どんなに厳しい状況でも必ずやってやる。。。

オレは逃げん!!!

と・・・



12月終わり頃、中庭の工事で格闘する中、ずっと話し合いが難航していた入り口駐輪場のゴーサインがでた。。。

これは、90%お蔵入りするだろうと言われ続けながらも、三人とも10%の希望に掛けて動いていた工事じゃった。。。

嬉しい反面、中庭のことで頭がいっぱいじゃったオレは、駐輪場の植栽工法に不安がいっぱいじゃった。

夜中に現場から帰り、朝まで図面と闘った。
げっそり痩せこけた。。。

何度も工法を変え、見積もりをかけるも到底実現しない金額が提示された。

施工一週間前に迫るも、まだ決まらない。

焦りだけがオレを襲った。

そんな中、以前からコラボレートしていた鉄関係を専門とする早間君が手を差し伸べてくれた。



「ぜんちゃんのイメージがあるんじゃろ?そのままカタチにしようや。オレに出来る事はするで。。。」




一週間を切った頃、やっと施工の目処はたった。。。


不安要素は多かったが、あとはオレがやるだけの状態になった。。。



絶対にやってやる。

やるしかない。。。




そして1/29。。。



中庭、駐輪場ともに、洗いを残しほぼ完成した。。。



「おっしゃー!!!おわったーーーーー!!!!やったどーーーー!!!やりきったどーーー!!!!!」



オレはその場で叫んだ。。。


最後の三日間の徹夜を経て、1/30 0:00頃、現場に横たわるオレ、若い衆の竜樹、にしとんの、はしゃぐ三人がいた。。。


胸いっぱいになったオレらは眼に涙を浮かべた。。。


込み上げるものを抑える事はできなかった。。。

現場は静まり返っていた。




「夢って叶うんじゃな。。。」



「ほんまじゃな。。。」



「七年って長かったけど、七年で夢を叶えたってすげーな。。。」


「ほんまよな。。。」



「でも、オレらの思いは相当強かったな。。。」



二人はぼそっと呟いた。。。




「やりきった。。。」



「オレはすべてを出し切った。。。」



「今のオレにこれ以上のことはもうできん。。。」




「森×hako」・・・



ここにはオレのすべてが詰まっている。。。

今まで生き、出会い、喜び、悲しみ、苦しんだすべてのこと。。。



オレの思い、生き様が。。。





にしとん、まえちゃん、デブ、早間君、竜樹、これに関わってくれたみんな・・・


一人じゃ闘えんかったわ。。。
仲間に助けられた。。。


オレ、逃げずにすんだわ。。。



ありがと。。。



ほんまにありがと。。。




これを読んでくれているすべての人へ・・・

夢は必ず叶う。。。

思いを持ち続ければ。。。

諦めず、自分に立ち向かう事。。。

逃げない限り、夢は必ず叶う。。。

そう、強く強く、強い思いを持ってください。。。

強く思い続けることが出来る人には、必ず仲間が現れる。。。

一人じゃできなくても、必ず夢は叶う。。。








これこそ人生じゃと、感じることの出来た「森×hako」。。。






すべてはここから始まる。。。


新たな目標へのスタート地点。。。





「森×hako」。。。






ありがとう。。。


6th September ,2008

生きることの意味、伝えるという役割。。。

遠方の現場が続く中、「行為の庭」「。の庭」をアップする余裕もなくあっという間に一ヶ月という時間が過ぎてしまった。


そんな中、昨日 雑誌「庭」の取材が終わった。


メディアへの露出が増えてきた最近、この縁に恵まれた状況が何を意味するんじゃろうかといつも考える。


それは、実は今に始まったことじゃない。このブログをはじめた時、ずっと悩んどったことでもある。


薄っぺらな情報が蔓延したこの世の中で、いったい何人の人が本質を見極める事ができるんじゃろう・・・
勿論、おれが本質を見極めとるんかどうかはわからんし、そんな偉そうをいうつもりもない。
しかし、何人の人が「庭」というキーワードの元、心をうつ事ができるんじゃろう・・・


この忙しい世の中で、「庭師」という職業につきながら、何人の人に「心のゆとり」を与えてあげることができとるんじゃろうか・・・



自分の身近にいる人ですら、庭師という仕事がどういう仕事なのかわからない、おれが何をしとるんか知らん。

それじゃいけんと思い、ブログをはじめた。


オレは、庭譚という屋号の通り、庭のストーリー性を重視してきた。
それはクライアントが、このストーリー性により自分の庭である事を認識してもらう為である。
それは、庭を大事にするという行為にも繋がってくる。

そこには、1分でもいい、30秒でもいい。自分が作った「庭」を眺めるという「心のゆとり」をプレゼントしたいという想いがある。


庭師という職人は多くを語らず「見ればわかる」。そういって今まで過ごしてきた。
しかし、その結果どうだろう。

どれほどの「いい庭」「いい景色」が壊されてきたか・・・
建築業界に押され、スペースはなくなり、庭の領域が狭くなってきている現実を見て見ぬ振りしてきたんじゃないか。。。

感覚でつくる。もちろんその通りじゃ。

でも、それを語らない事でこわされてきたものがどれだけ多いかとオレは思う。

何も語らず、「見ればわかる」でどれだけの人が本当にわかるのだろうか・・・

わからんやつはほっときゃいい。

ほんまにそれでえーと思うか?

オレはえーはずがないと思う。


オレがなぜこの「庭師」という職業にありつけたのか・・・


それは、先人が「日本の庭」というものを追求し続けてしてくれた結果である。

そう、日本の「文化」である。

俺らがしとる一つ一つの行為が「文化」になるんじゃ。
今はわからん、そんなことも考えてないかもしれん。

でも、「文化」って何気ないことじゃ。

今、「マイ箸」がブームになっとるけど、これが百年二百年、千年続けばそれは「文化」になる。

何気ない一人の思いつきが「文化」に変わっていくんじゃろ。


でも、「文化」になりえるには「続ける」ということが不可欠じゃ。


「庭」というものがこの日本の「文化」じゃけーこそ、俺らは食っていけとる。

その「庭」が危ない局面に、おれはたっとると思う。

建築家が外構を設計するという現実が、実際にあるわけじゃろ?


大工の棟梁が建物を設計していた時代に「武田伍一」という人が現れ、建築家という職業ができた。
それは、建物というモノを言葉に換えるために相当勉強したに違いない。

勿論、「庭」というもののすべてを「コトバ」で説明することなんてできんじゃろう。

しかし、キャッチコピーみたいなもので、人の心を傾ける為の「コトバ」をつくることはできるとオレは思う。


良い職人ほど語らない。。。

それじゃ今はまずい。

だって、いい職人じゃないとは言わないが、「コトバ」で仕事を取ることができる情報網ができてしまったから。。。

「庭師」という仕事に出会い、「文化」の真っ只中におかれたオレらの役割。。。



それは、「庭師」が「庭」をつくるということ。

そして、「庭師」が「まち」をつくるということ。




しっかりとした信念の中、一生懸命「庭」の本質に挑んでいる人たちはもっと「伝える」べきじゃとオレは思う。。。



そして、この「伝える」ということの為に、自分の仕事を「コトバ」に替えるという行為が非常に重要じゃということ。。。



一人でいい。

自分が発言することで心をうってくれる人が一人でもいればそれでいい。。。



自分が追い続けている「庭」という世界を軸に、「庭師じゃけー感じることができる事」を、一人でも多くの人に「伝える」ことができればそれでいい。



オレが何かを「伝える」ことができるとすればそれは「庭」でしかない。。。



どんな職業の人に対してであろうとも自分が発言することは「庭師として考えることのできた自分」の「コトバ」じゃと思う。。。


しかし、そこに通づるものは必ずある。



それは、本質を常に「コトバ」にかえる努力を惜しまない事、自分の考えを「コトバ」にかえる努力をすること・・・


それは自分の「庭」を「コトバ」にかえることからはじまるんじゃないかとオレは思う。。。



メディアに露出するということ。。。

それは、光栄なことじゃ。


しかし、それ以上に「責任」があるということ。。。


自分が自分の為に生きているんじゃないことを実感させられる。。。



先人達が託してくれた「想い」を次に「伝える」ための駒の一つに自分がなれればこれ以上の幸せはないと常に思う。。。。。

2nd February ,2008

あっという間に。。。

一月が終わった。。。

十二月から鬼のような毎日が続き、一月もその余波は続き、やっと落ち着き始めた。

ここ最近は、手入れ。
応援も加わり捗る毎日。。。

以前の日記に書いた「駅前再開発」の話が、途中やめじゃったな・・・


あらすじから順に話そう。。。


今「福山駅前再開発」が進んでいる。
福山駅は、福山城のお堀を埋めて建てた建物なので、駅周辺を掘れば石垣が出てくるわけだ。

福山市の計画は、石垣を撤去してどこにでもあるチャンガラな駅前を作ろうとしている。

しかし、市民の中で最近それを見直そうという声が高まっている。
「水辺公園プロジェクト」という団体が結成され、10万票以上の署名も集まり反対運動が盛り上がっている。

以前から俺は駅前のお堀を復活するべきだと言い続けて来た。
だから、本来ならば賛成の立場だ。
しかし、その「水辺公園プロジェクト」には気になる点があり、大手を振って賛成できるわけでもなかった。

コンセプトがイマイチはっきりしていない中での運動だったからだ。
空気を作っている者ならわかると思うが、どうせやるなら500年、1000年計画で福山の空気を作っていくべきだと思う。
空想でもいいから、「こういう福山をつくっていきたいと思っています。だから、まずは水辺公園を作って歴史を残しながら作っていきませんか?」っていう感じの訴えかけをするべきだと俺は思う。

ただ「石垣保存しましょう」なんて言われても、ちょっと違和感があるわけだ。
もちろん、今回壊してしまえば、もうあの規模で石垣を積む事は予算的に不可能だと思う。
だから、壊しちゃいけんと俺も思う。

しかし、中途半端な考えで残したところで、どうなるんだ?
500年後の人類まで大事にしてもらえるんだろうか・・・
心が伝わるんか?

そんな思いがあった。
そこで、「水辺公園プロジェクト」の総会に爆弾を持って乗り込んだわけだ。

しかし、、、
そこで答えは出なかった・・・

質問をするも、サラリと交わされた・・・
というか、自爆してしまった感もあった。
何かマイナスな事を言うヤツは排除しようという雰囲気がムンムンで、この若造が!っていう感じじゃった。

自分の力のなさに、悔しさが込み上げた・・・
ほんまに悔しかった・・・
悔しさを我慢できず、年末に関係者と直接コンタクトとり、会うところまでこぎつけた。

ここまでが前回の話。。。

そして、会ってみて感じた事・・・
正直、あまり嬉しい結果ではなかった。
収穫がなかったわけではない。。。
わかってはいたものの、裏にはとてつもなく真っっっっっっ黒な世界があるという事、正規のルートじゃ、権力者じゃなきゃ太刀打ちできない事を思い知った。
更に、これもわかってはいたが、市役所はまったくやる気がない事も改めて思い知った。
あ~~~あ。。。って感じじゃわ。

ただ、ここで俺にしか出来ない一つのキーワードを耳にした。
今は言えないが、秘策は見つかった。。。
俺は、権力者にもならず、「水辺公園プロジェクト」とも違う、一市民としてそれで戦ってやる。

新種の爆弾を入手したわけじゃ^^^^^^
もちろん、仲間はおるしな^^

結局、純粋に俺は俺のやり方でやっていこうと思ったわけじゃ。
やっぱそうじゃないと面白~ないもんな~。
いち庭師のzenjiroとしてのやり方でやっていく^^

俺は、「まちづくり」に絶対に必要なことは、いつまで経っても揺るがないしっかりとしたコンセプトを守り続けるということだと思う。
そして、世代の壁を越えて、皆でつくるということ。
この二つがない限り、「まちづくり」の成功はない。

歴史を守っていく事は大事な事だ。
しかし、作っていく事も大事な事だと俺は思う。
今までの歴史を守りながら作っていく事。。。
「ものがたり」を引継ぎ、そして新たな「ものがたり」を作る事。。。

そう、俺の「作庭」そのものだ。

秘策はある・・・いつになるかわからんがつづく。。。

11th June ,2007

モノを大事にする気持ち

ここ二週間は、日曜日は現場を空けています。。。
段取りや、挑戦の日に決めています。。。
時間にゆとりがなくなると、引き出しがなくなってきます。。。
パワーをためなければと思い、日曜日は準備の他に、道具の整備、新たな発想の確認の時間にしています。。。

それはさておき、以前、俺の作庭にとって、一番重要なことの話をしたと思う。
俺が何のために庭を作るのか、作庭する上で何を一番考えるのか。
俺には、庭を世の中の人達に伝えていく役割がある。
いかに愛着を持てる庭を提供できるかが俺の力量にかかっているわけだ。
完成引渡し後、現場に立ち寄った時にきれいに管理されている庭なら成功なのです。

自分のエゴで庭をつくるわけじゃなく、自分がお客様になりかわって、自分の発想を表現するのです。

このお客様には、こんな感じの庭が・・・
そんなことを思って作庭する。
俺の庭には、あまり既製品がない。

そこには、一つのこだわりがある。
完璧にきれいなものに、あまり魅力を感じないんです。
少しゆがんどったり、曲がったりしとるものに魅力を感じてしまうというか、それを生かしたいとおもうんよな。
誰が見てもこう使うってわかりきった製品に魅力を感じんのんよな。。。
俺ならここを使う、他の人なら違うかもなってところに個性を感じる。。。
「石はこう据える」なんて言う人もいるが、それはその人の考え方で、それが絶対ではないと思う。
どんな据え方をしようが、どんな庭の見方をしようが、据える人、見る人の自由だ。

なぜうちに仕事を依頼してくださったのか。。。
なぜそのお客様と出会ったのか。。。
そんなことを考えていると、自分そこに庭を作る意義を考えてしまう。。。
俺がやらなかったら、これはしないだろうな・・・なんて事をどんどん増やしたくなるんです。。。
個性を発揮できる材料をふんだんに使いたくなる。。。

よく、「安けりゃなんでもいいんだよ。」なんて話を聞いたりする。

安いってなんだ。。。

何が安くて、何が高いんだ・・・

もちろん、安いに越したことはない。

しかし、安いからいいってわけでもない。
最低限かかる金額ってのはある。極端な話、10円じゃどうにもならんもんな^^
もちろん、ないお金をつくって無理をする必要はない。
安いもん買って、何気なく見てるより、少しだけ無理して、ずっと眺めていたいものを買うほうが安いんじゃないかな。。。

ただ俺は、そんな時こうアドバイスをする。

「無理する必要はないですよ。ただ、無駄なお金をかける必要もないですよ。お金をかけて喜べないなんてもったいないですよね。納得いく庭を作って、大事に管理してください。一気にする必要もないし、できるときにやったらいいじゃないですか。二度と作り替えなくてもいい、壊したくなくなるものを作りましょう。」

何でも簡単に手に入ってしまうものって、面白みがないんよな。
一所懸命、やっと手に入れることができたものって大事にするもんね。
要するに、モノを買うってことは「気持ちを買う」ってことじゃないかな。。。
何かを手に入れて、幸せな気持ちになる。喜べる。

前に、Aさんが、値段は高いがこの茶入れが欲しいと言った。
Bさんは、どうせあんまり使わんのんじゃけー、そんなに高いのじゃなくていい。と言った。
俺はBさんに言った。
Aさんは、使う使わんは関係ないんよ。

それを買って、持っていることに喜びを感じる。
それを見るたびに癒される。
その幸せな気持ちになれる時間を買うわけじゃろ・・・

庭も一緒なんよな。。。

そんな中、「流れのある庭」でもすでに、完成前の庭をお客様がめちゃくちゃ大事にしてくださっています。
ご主人も帰りが早くなったり、夜中に樹木のことが気になって庭に出たりって話も聞いたりします。。。
先日も、旅行に行かれたらしく、「いろんな庭をみたけど、この庭を見慣れたらなんか他の庭では満足できんかったわ。この庭はのびのびしてていい。」
って言ってくださった。

また一人、いや二人、庭に愛情を注いでくれる人を増やすことができたと嬉しく思う。。。
もちろん、俺の力だけではないが、少し手助けはできているだろう・・・

モノが大事にする気持ち・・・

自分も忘れたくないし、何か少しでも庭を通して伝えていきたいと思う。。。

たぶんすべてにつながってくるんだろうね。。。

31st March ,2007

庭をつくるということ。。。

今日、仕事のやり方を御依頼主に褒められました。

「もっとすぐに庭なんて出来るもんだと思ってました。こんなに丁寧な仕事をする庭師さんは初めて見ました。。。仕上がりが楽しみです。思うままにとことんやって下さい。」


嬉しかった。。。

ここまで言って下さる方は、庭を大事にしてくれる。。。


私は、一人でも多くの人に庭を眺め、大事に維持してくださる方を増やしたいと思っています。。。



庭ってほんとに大事なんです。


庭を大事にする人の家は綺麗です。

自分が大切にしている物を美しく見せたくなるからです。

家を見た時に見える物・・・まず「庭」です。。。


家が美しいという事は、身なりも美しくなります。

人も美しくなります。

行動も美しくなります。



だから、作る側の責任は重大なんです。。。



私が作庭する時に、一番重要視する事・・・



それは、私が感じるお客様のカラー、オーラです。。。


もちろん、立地、建築も左右してきますが、一番はお客様から感じた感覚なんです。。




だから、その庭は、そのお客様でなければありえないんです。




そのお客様の為の「庭」をつくる事。




もちろん、自分の中でのね^^





そして、そのお客様をもっと輝かせる事が出来れば、最高に喜びを感じます。。。




庭を通じて、今まで感じる事のなかった何かを感じていただければ嬉しいです。。。

14th March ,2007

そういうひとにわたしはなりたい(後編)


私には、不思議なくらいたくさんの良い出会いがあります。

自分に何か足りない時、必ずと言って良いほどそれを教えてくれる人物がフッと現れます。。。



ここ最近、とても親身になってくれるアニキ的存在の方にお世話になっていました。

そのアニキは、なんでこんなに良くしてくれるんじゃろう・・・って思うくらい俺のことをかわいがってくれます。いろんな事を教えてくれる。

アニキにとって俺は何の役にもたてないのに、それどころか迷惑ばっかりかけとるのにアニキはそんなことは構わず、ニコニコしていろんなことをしてくれます。


アニキは、若い頃札付きのワル。。。
停学18回で表彰されたという。。。
鑑別も少年院もいった経験をもつ。。。

校長さんに、「お願いだから辞めてもらえんか。」って頭下げられたくらい悪かったらしい。


目をあわしたら
「おどりゃー、なにガンたれとんなら!!!しばきまわすど~!!!」

目をそらせば
「おどりゃー、なに無視しょうるんなら!!!しばきまわすど~!!!」

と、こんな風だったと周りの人から聞いた。。。


18歳を境にコロッと人間が変わり、仕事に打ち込んだそうだ。

もちろん、いろんな経験をしてきたそうだ。

仕事の話、恋愛の話、人生の話、失敗談。。。すべてをさらけだして笑いながら話してくれる。

アニキもまた、感謝の言葉ばかり口にする。

いろんな人をかばい、とばっちりを受け、それでも文句一つ言わず、ニコニコしている。
曲がった事は大嫌いで、一本筋の通った人。

そのアニキはいつも言う。

「自分が嫌な事されても、そのまま同じように返しちゃいけん。じっと我慢して誤ってくるんをまっとくんよ。誤ってきたら水に流して許してやればええ。わかってくれりゃえ~んじゃけ~。」

と。。。


こんなことも・・・

「「遊ぶ時はあそびゃーえーんよ。その代わり、遊ぶんじゃったらその日食う分くらいは稼いでからあそべ~。自分が動いた分がお金。おいしい思いして稼いじゃいけん。汗水たらして働いた分だけが自分のゼニじゃ。」いうて親父によ~言われたわ~。」
と言いながら、アニキもそうである。。。


それから、気遣いがサイコーにできる人なのだ。








アニキとは二年ほどの付き合いになる。。。

これまた俺が飛び込んでいったんじゃけど、そんな俺を
「お~、わきゃ~のにがんばっとるの~。え~え~。力になるけーがんばりにゃ~!」
って、おもしろがってかわいがってくれた。


そんなある日、俺は失敗をおかしてしまい、そのことでアニキのところに相談しに行った。

「実は~~~~~・・・なんです・・・」

と言った俺に、

「そりゃ~いけんかったな~。まあ、今の時代じゃけ~そういうこともあるわ。そういう人もおるけ~な。ま~、もうえ~が~^^」


といって笑い飛ばし、その上、困っていた事を引き受けてくれた。。。

アニキにとってはマイナスなことなのに。。。


それからもずっと可愛がってくれている。


先月、またアニキに迷惑をかけてしまった。

が・・・

そのときも、少し注意する感じでしかってくれ、その後に・・・
「え~え~、気にすな~。わしがえ~よ~にしとるけ~大丈夫よ~^^」

って笑いとばしてくれた。。。


そのアニキがよく話してくれる。

「みんなが喜んでくれるのがわしゃーうれしいんよ~~~^^」



俺は、何度もアニキやYさん助けられ、勉強させてもらった。


「あ~、すごい人じゃ。俺もあんなひとになりたいな~・・・」


そんな日々が続いたある日、わかばが寄ってきて・・・


「ぱぱ~、きいてきいて~!!!」

「あめにもまけず かぜにもまけず
 ゆきにも なつのあつさにもまけぬ
 じょうぶなからだをもち
 よく(欲)はなく
 けっしておこらず
 いつもにこにこわらっている
 いちにちに げんまいよんごうと
 みそと すこしのやさいをたべ
 あらゆう(る)ことを
 じぶんをかんじょうにいれずに
 よくみききし わかり
 そしてわすれず
 のはらのまつの はやしのかげの
 ちいさなかやぶきのこやにいて
 ひがしにびょうきのこどもあれば
 いってかんびょうしてやり
 にしにつかれたははあれば
 いってそのいねのたばをおい
 みなみにしにそうなひとあれば
 いって こわがらなくてもいいといい
 きたにけんかやしょしょう(訴訟)あれば
 つまらないからやめろといい
 ひでりのときは なみだをながし
 さむさのなつは おろおろあるき
 みんなにばくしょうおう(でくのぼう)とよばれ
 ほめられもされず
 くにもされず
 そういうものに
 わたしはなりたい」




「おぼえたんよ~!!!」





「・・・」





まさにアニキはそういうものなのだ。。。




正直、その時の状況がリアルすぎて、心に響いた。。。




と同時に、一生懸命なわかばの姿に感動した。。。





そういうものにわたしはなりたい

28th February ,2007

そういう人にわたしはなりたい・・・(前編)

最近、毎日出会う人がいる。
その中の一人に、76歳の職人さん(Yさん)がいる。

14歳で志願兵として海軍に入隊し、貧しい時代を生き抜いた職人さんだ。

Yさんはいつも語尾にこんな言葉がつく。

「~さしてもらっている。」
「ありがたいことじゃ。」
「幸せな世の中じゃ。」

出てくる言葉は感謝の言葉ばかり。


Yさんとの出会いは二年ほど前だったと思う。

突然飛び込んだ私に親身になって相談に乗ってくれた。。。


会う度にたくさんの経験を話してくれる。仕事の事、技術の事、生き様など・・・



「わしは14歳で志願して兵隊に入った。20歳で徴兵がかかるが、できるだけ早く入って上の位に上がりたかった。

わしの歳で兵隊いった者はあまりおらん。あの頃は、元気なもんはみんな戦争に狩り出され、残ったもんは老人と20歳以下の子供だけ。。。

お国の為と言って死んでいった者がたくさんおる。


生きて帰るな・・・


そう教育された・・・あんなのうそじゃ・・・でたらめな教育じゃった・・・

「大和」を見送った後、わしの番が来る前に戦争は終わった。もう船も残ってなかったんじゃ。まだ船がのこっとったらわしも配属されとったろう・・・

わしの前に逝った若者らのお陰でこんな贅沢させてもらっとる。ありがたい。。。」


入隊間もなく防府の燃料倉庫がやられたらしい。その頃から、敗戦ムードになっていたそうだ。



「戦闘機がカラスのように大群でやってきて、ショウユ弾を落としていった。
下から大砲で反撃するも戦闘機まで届かんのんじゃ。歯が立たんかった・・・」


・・・


「戦闘機10機に追われ狙撃されたこともある。低空飛行でな・・・
草むらに寝そべって死んだふりをした時、自分を狙撃している兵士と眼があった。あの時の兵士の顔は忘れられん・・・」


・・・


「終戦後も、食えるのは麦飯か芋ばかり。麦飯も、丸麦じゃけー雑炊にせにゃくえんのじゃ。金なんてあっても意味なかった。金があっても物売ってくれんのじゃ。物々交換よ。たまに米にありつけたと思っても雑炊しか食ってないけー、米食ってもよう消化せんのんじゃ。腹壊して。。。」


・・・


「そう思やー今は幸せよ。金で物なら何でも買えるんじゃケー。」


・・・



「日本いう国は幸せな国よ。韓国や中国、インドへも仕事で行ったけど、日本みたいにどこに行っても最低限の暮らしが保障されとる国はないよ。仕事さしてもらえて、給料ちゃんともらえて。ほんまありがたい・・・」



そんな話をたくさん聞いた。。。

ゆっくりゆっくりため息をつきながら話してくれる。

その言葉には重みがある。


「わしは、生きていくのがやっとじゃった。一生懸命仕事してきたが、一つだけ後悔したことがある。。。30半ばまで親方に仕え、20年間小遣いだけで仕事してきた。。。お金がないなったら親方に小遣いもらうんよ。。。お金貯める余裕なんてなかった。。。こっちに戻ってきてここに来て初めて給料いうもんをもろうた。。。うれしかった~・・・もっと早くにこっちへ戻ってくりゃーこんなに貧乏せんで済んだのに・・・もっと計画的に動いて仕事をすればよかった・・・何年後にこうしよう、ああしようというビジョンを持たんといけん。。。」



Yさんは遠くを見つめながらそう言ってくれた。。。



Yさんと話をしていると、いつも心が洗われる。



われら世代の人々は自分の環境に感謝しなくてはならない。




遊ぶ自由も、仕事を選ぶ自由さえなかった人々が大勢いた事を忘れてはいけない。


ニートと呼ばれる人種が増えていると聞くが、挑戦できる環境にあることに気づいて欲しい。。。

何でもできる世の中である事に気づいて欲しい。。。

自分にしか出来ない何かがあることに気づいて欲しい。。。




毎日「死」と向かい合わせの生活をし、生きていくのがやっとだった人々がいることを忘れてはいけない。


仕事ができ、お金がもらえ、それで食べる物が買える世の中に感謝しなくてはいけない。




この幸せな環境に置かれた俺らがそのことを心から理解し、次世代に伝えなくてはならない。。。




親としても、


子供達に贅沢三昧に物を与え、苦労させず、冒険させず育てていくことが、子供にとってどれだけ不幸なことなのか気づかなくてはいけない。。。

何があっても生きていける精神を養ってやる、そして自分もそうなることが本当の優しさなんだと思う。。。




人それぞれそ伝える為の道具は様々だが、




俺にとって、それは・・・


「庭」であり、「わかば会」だと思っている。。。




後編に続く・・・

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