見る人にはわかるかもしれない 10年前に建築家の設計で建てられた廿日市の住宅
入った瞬間にズシッと心に建築家からのメッセージが入ってきた
暮らしやすいとは程遠いその建築に、オーナーさんは心地よい暮らしをされていた
お風呂に行くにも一度外に出なきゃいけない
照明はほとんど無い
「照明が少なくて視力が落ちてしまったわ」と笑いながら語り、でもどこか幸せそうな空気をもっていた
「この住宅に満足していますか?」
僕がそう尋ねるとオーナーさんは即答で 「はい!」
なんだかとても嬉しかった
デザインってこういうことなんじゃないか
僕はそう思った
最近よく思うことがある
世界は常に便利なものに向けひたすら走っている
いったいその先に何があるんだろう
効率化×効率化でどんどん余白が無くなっていく
かつては当たり前に行っていた行為も 今はしなくて済むようになった
それで得たもの 失ったもの・・・
谷尻誠氏ともそんな話をしたが、物事は表裏一体だ
プラスマイナス0
何の為にモノは出来ていくんだろう
楽するため・・・いや、そうじゃない
新たなことを生み出すためだ
やらなくて済むようになり、そこで得た時間を使い新たな価値を生み出すために使う
常に人間は、考えるか、動くかしなきゃ退化していく生き物だ
AIはどんどん学習能力を高めている
そんな時代に僕たち人間ができることは何なのか
僕にはまだわからない
それでも、この建築は大きな希望と豊かさを、受け取れる能力のある人に、ちゃんと建てられた気がした
建物や庭、カタチだけを見てその価値を定めることはできない
そこには、そこで営む人がいる
その人にとってどんな気付きを与えることができたのか
その建物に出会わなかったら気付けなかったことがあったはずだ
これこそ デザインの存在意義だと僕は思う
庭をつくるみんなにも考えてほしい
カタチが大事なんじゃない
それをつくることで何が生まれるのか
つくりたくてつくったものがあってもいい
でも、それによってちゃんと先に進んでいるのか
その時よりも多くの人を感動させることができるようになったのか
それは出来上がったモノだけではだめなんじゃないか
プレゼンでそこにつくり始めるまでのプロセス
つくる過程での会話と行為
仕上がってから何をし、どう動くのか
その時々で 人の心に響くことが何なのか
すべてを含めモノづくりだ
もちろん、感動させられなければそれまでの会話は薄れる
だから いいものつくらなきゃ
スキルも五感も磨かなきゃ
そんなことを考えさせてくれた 建築家 村上徹氏 に敬意を表します
心してこの空間に挑む
頭の奥にある うっすらみえる景色を捻りだす
いつになるのか 生み出したときがスタートです。。。